Jeffrey

ベルリン・天使の詩のJeffreyのレビュー・感想・評価

ベルリン・天使の詩(1987年製作の映画)
4.5
「ベルリン・天使の詩」

〜最初に一言、白黒とカラーと言う2種類の視覚的演出で巧みに描いた声の映画、音の映画であり、味覚と触覚が織りなす冒険の果てに…我々観客は何を見るのか。ヴェンダース映画の最も芸術性の高い1本である。この映画の超人的な視覚領域は凄まじすぎる。まさに可能性を探る感覚の第7の芸術だ〜

冒頭、ベルリンの街を傍観する天使たち。人間世界の物語や歴史を見守り続ける。心の声に耳を傾け、サーカスショー、空中ブランコで舞う女性、コンサート、図書館、空き地、モノクロからカラーへと移り変わる。今、地上に降りてきて…本作はヴィム・ヴェンダースが1987年にフランスと西ドイツ合作で制作したモノクロとカラーの映画で、この度BDにて再鑑賞したが傑作。ヴェンダースはベルリンの街をロケハンするうちに、街の所々に天使の意匠があることを見つけ好きだった画家のパウル・クレーの天使の想像とそれが重なり、天使を主人公とした映画という閃きに結びついたそうで、監督が詩人のペーター・ハントケに依頼して書き下ろされた詩”Lied vom Kindsein”を織り込んだ構成になっている。

さて、物語はわらべうた。子供が子供だった頃。手を翼のようにぶらぶらさせ、小川は川に、川は河になれ、水たまりは海になれ、とうたった……。ベルリンの街。廃墟の上から人々を見守っている天使だ見えるがいる。天使の耳には地上の人々の内心の声が聞こえ、天使の姿は子供たちには見える。飛行機には、コロンボで親しまれているアメリカの映画スター、ピーター・フォークが、これからベルリンで撮影に入る映画の脚本を読んでいる。街の中の様々な人々の様々な内声。ダミエルは、親友の天使カシエルと今日見た自然や人々の様子について情報交換し、永遠の霊であり続けながら人間ではない自分に嫌気がさすことがあると、天使にしてはとんでもない告白をする。一瞬それに同調するカシエルは、いや、孤独に、何が起ころうと真撃に、人間世界の物語や歴史と距離を保つと深く反省する。

図書館は天使たちの憩の場だ。女の天使も男の天使も、ここでは、人々の内声を安らいで聞く。老詩人ホメロスが失われた物語を探している。地下鉄の様々な人々の声を聞き、子供たちの声に誘われるように、不思議な空間、サーカス(アルカンサーカス団と言う名)に迷い込むダミエルは、空中ブランコを訓練中の美女マリオンを見て、一瞬経験したことのない色彩を目に覚えるが、それがなぜだかはわからない。マネージャーの声が今夜の講演が終わったら解散だと告げる。また、ひと季節も持たない。サーカスにかけたはかない夢を嘆くマリオン。トレーラーに戻って、あれこれひとりごつマリオンの内声を同情して聞くだダミエル。愛したい、とつぶやくマリオンのため息にどぎまぎするダミエル。着替えるマリオンの裸身が、鮮やかな色彩でダミエルの目を撃つ。

橋のたもとで起こった交通事故で死にかけている男。額に手を当ててだ見えるが詩の始まりをつぶやくと、男は息を吹き替えして詩を語り続ける。ジーゲスゾイレの女神像に座って、その詩をダミエルが聞いている頃、カシエルは図書館からベルリンの壁づたいにポツダム広場を歩く老詩人ホメロスに付き添っている。老詩人は武勲詩でなく平和の叙事詩を探し求めているのだが、詩の女神は何も語ってくれず、ナチスのポツダム広場はどうしても見つからない。お小遣い稼ぎに売春の客を拾うとする少女。見守るカシエルの瞳に、突然、ナチス時代の古いベンツが映る。独裁者はいないが人口の数だけミニ国家があると言う運転手の内声。車は現在のベルリンと、戦争末期のベルリンとを通して、ピーター・フォークがいる撮影現場に着く。 

映画は大戦末期のものらしく、エキストラに様々な衣装の様々な人々がいる。ナチスの将校服の人々や黄色い六角星のユダヤ人や、内心の声が現実の歴史を持っている。ダミエルはカシエルを呼んでサーカスの昼間の公演を見に行く。子供たちとサーカス。マリオンに目を奪われるダミエル。ベルリンの自然の風景の中で、原初の谷の河いらいの長い歴史を昨日のことのように振り返るダミエルとカシエル。空は1つ。天使にとってはベルリンの壁は何の意味もなさない。しかも、人間になりたいと言うダミエルの思いは、ますます募るばかりだ。ヨーロッパセンターの屋上から、飛び降り自殺をしようとしている若者。天使カシエルが止めようとしても、止められない時もある。女神の像から自らも飛び降りて見るカシエル。荒れ狂う現実のイメージ。男と女。泣き叫ぶ子供。爆撃。翼。最後の公演を前に天使のそれを語るマリオンの内声を聞きながら、ダミエルには何もできない。公園で美しく空を舞うマリオン。

公演のあと、ロックコンサートで踊るマリオンの手に触れて、心うずきを感じるダミエル。ダミエルがマリオンの夢の中に入り込んで求愛の手を差し伸べる。夜明け。散策するピーター・フォークは、見えない天使ダミエルに話しかけ、人間になることをしきりに進める。壁を越えて、ノーマンズランドをカシエルと散策するダミエルは、ついに、マリオンへの愛に生きる決意を告白する。人間に恋したら、天使は死ぬのに。しかしもうその時、ダミエルが歩いてきた地面に人間の足跡がつき始めている。カシエルに抱きかかえられて死んでいくダミエル。西ベルリン側の壁。気を失って倒れている人間ダミエルの頭に、天使の正装である鎧が、天からの就職金のように落ちてくる。目覚めた彼に見な慣れたはずのベルリンの色彩がなんと鮮やかなこと。怪我して出た血の臭いも、全てが楽しい。

質屋で鎧を売って200マルクを手にする。子供に道を教える。ピーター・フォークに姿を見せて会話する。ピーターが実は元天使だったと知って驚きはするが、この世はすべて美しい。マリオンを探し出すことだけが、天使であった身と違って実に難しい。マリオンはダミエルを探して、サーカスが解散してもベルリンに残っていると言うのに。ニック・ケイヴが歌うROCK CONCERTで、ようやく巡り会うがダミエルとマリオン。人間ダミエルへの、マリオンの熱い愛の告白。時が1つになる。人間の時。何かが始まった。いかなる天使も知らない何かが、カシエルへの手紙を綴るダミエル。ホメロスの声が、新しい出発を告げる…とがっつり説明するとこんな感じで、パルムドールを受賞した「パリ、テキサス」以来3年ぶりの最新作で長編13作目にあたる作品である。前作以上に画期的な演出方法で芸術性に磨きが入った彼の渾身の力作の1つだ。

77年からのアメリカを拠点としての映画作りに「パリ、テキサス」完成で一旦終止符を打って、ドイツに帰って10年ぶりに作ったドイツ映画で、ドイツ語を始め、フランス語、英語、トルコ語など様々な言葉が流れる。さすらいの映画作家ヴェンダースがベルリンだけで映画を撮る、それも西と東と問わぬベルリンと言う企画が世界を驚かせたはずだ。しかも制作着手から完成まで9ヶ月と言うヴェンダース作品としては異例の凝縮された時間であろう。本作はベルリンと言う都市の人と歴史と現在を詩心の結晶で浮かび上がらせ、絶賛を浴びて最優秀監督賞をカンヌで受賞している。本人にとっては前作に引き続き連続受賞であることが誇りだろう。



いゃ〜、音楽を担当したユルゲン・クリーパーの美しい叙事詩的なオリジナル曲を中心に、サーカスの場面でのプティガンの音楽のほか、ヴェンダースが愛するロック曲が随所に流れるのがたまらない。彼の通モノクロームの映像は本当に美しい。ラストはカラーが占めるが、モノクロームとカラーの変化が絶妙に展開する構成で、撮影監督のアンリ・アルカンは素晴らしい仕事をしている。確か「ことの次第」に続くヴェンダース作品2作目であったと思う。脚本は、構成をすべてはヴェンダースだが、無限の協力を果たしたのは、現在ドイツ文学の旗手のひとりペーター・ハントケだろう。冒頭からやはりすごく魅力的である。モノクロームに映るベルリンの街並みを空撮する。そしてブルーノ・ガンツ演じる天使が現れ、ゆっくりと翼が消えていくのだ。なんとも美しい。少女が空を見上げ、その後に移民の子供たちがバスの中からその天使を眺める。そして人間の声が呟かれる。なんとも素晴らしいオープニングではないだろうか。てか繰り返すがアンリ・アルカンの撮影が素晴らしい。

その時の助監督はクレール・ドゥニであることも押さえておきたいポイントだ。後に多くの作品を世に生み出す。そのほとんどが国内ではVHSのままだが…。それにしても、天使を演じた主演のブルーノ・ガンツのイノセント的な縛りは非常に良かった。私が彼を教えたきっかけはアンゲロプロスの「永遠と一日」だった為、こんなに若い時があったんだと当時本作を見たときの感動が今蘇る。しかもマリオンと言う女性は映画初出演で、空中ブランコの経験などほとんどなかったS・ドマルタンと言う女優である。やはりロケ場所は、西ベルリンの繁華街クーアフェルステンダムにある廃墟カイザー・ヴィルヘルム記念教会を始め、ベルリンを一望できるロケ地なのが素晴らしい。確かポツダム広場の近くにロードムービーズのオフィスを構える監督の親しい場所なんだなと思う。

その他にも見所のロケ地現場はあって、例えばジーゲスゾイレの女神像だったり、運河を望んで一瞬の歴史を2人の天使が語り合うローミューレン橋や東ベルリンのベルク地区、ヨーロッパセンターの、ベンツの星のネオンサインがある屋上。駅は止まっているアンハルト駅、東と西の間の、ダミエルが死ぬノーマンズ・ランド。チェリー・ノワールが描いたベルリンの壁画、クロイツベルクのロックの場など。特に、飛び降り自殺の少年の場面でのローリー・アンダーソンのエンジェル・フラグメンツの音楽がすごく耳に残る。その他にもサーカスの仲間と別れてベルリンに残るマリオンのシーンでのシュプルング・アウス・デン・ヴォルケンのパ・アタンドルも良かった。今思えば監督の初のドルビーステレオ作品でもあるから、サウンドも実に精妙な仕事となっているなと。

やはりこの映画を見ると、監督のベルリンへの感情が非常に伝わる。モノクロームの映像がすごくノスタルジックで、北ヨーロッパ独特の通りに沿って並ぶ大きな石造りの建物の列がやはり印象を残す。この映画は風変わりな作品とも思えるのが、やはり声の語る映画であると言うことだ。しかも日本語まで飛び出てくる。それは、どちらかと言うと孤独のうちにつぶやかれる内面の声であり、その意識の流れが映画をつたって我々観客の中へと入り込む。喜びだったり絶望だったり、その内容の中身を問わずに、人間の本質的な孤独の奥底から発せられ、孤独の中で反響する映画である。天使の姿は無垢な子供にしか見えないが、実際カラー映像になった瞬間に、天使自体が初めて流した血の味や、初めて感じるコーヒーの温かさと匂いも全て彼らにとっては子供のように楽しめるものである。天使=子供と言う意味合いがあるのかもしれない。あの原色鮮やかなグラフィティは、政治的にも視覚的にも極めて素晴らしく挑発的でもある。

この映画はラストに3人の名前が挙げられる。まず最初に安二郎、フランソワ、そしてアンドレと言う順に、これらは偉大な監督であり、特に小津安二郎については、監督が「東京画」(85年)で東京のドキュメンタリーを作っている。ヴェンダースは2007年のインタビューで今ならロベール・ブレッソンとサタジット・レイを必ず加えると述べているそうだ。ニュー・ジャーマン・シネマの異端児とされているファスビンダーもメロドラマを多くとっていたが、ヴェンダースの前作である「パリ、テキサス」もギリギリのところまでメロドラマを構築していた。あそこまでエモーションが高められる愛の可能性はすごく素敵である。この作品のクライマックスの天使と女が2人きりでいるところを見るとどことなくそう感じてしまう。まだ未見の方がオススメだ。
Jeffrey

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