ねまる

ロミオ&ジュリエットのねまるのレビュー・感想・評価

ロミオ&ジュリエット(1996年製作の映画)
3.6
The Great Baz Luhrmann
(授業のレポートで書いたものをほとんどそのままコピペ、長いです。メインはロミジュリではなくギャツビー)

2013年にレオナルド・ディカプリオ主演で映画化された『華麗なるギャツビー』を監督したのは、オーストラリア人のバズ・ラーマン監督である。バズ・ラーマンといえば、豪華絢爛な映像と音楽の組み合わせが得意な監督だ。『ロミオ+ジュリエット』(1996年)、『ムーラン・ルージュ』(2001年)を『華麗なるギャツビー』と比較することで、バズ・ラーマン映画における演出と、音楽について批評する。この批評については、それぞれの映画のブルーレイ版に付属している特典映像のインタビューを参考にした。

 まず、『華麗なるギャツビー』は、原作のジャズを現代人にとってのEDMやダンスミュージックのようなものとして捉え、当時の人たちの感じていた狂騒に観客も巻き込もうとする演出が見られる。その最も印象的なシーンが、ニックが初めてギャツビー邸を訪れるシーンで、人々が酒に酔い、EDMなどダンスミュージックで踊り狂う姿が派手な演出と共に現れるのだ。アメリカ人ではないので、私は派手なパーティーに馴染みはないが、ここで流れる曲がEDMであることで、この煌びやかな世界に私も入り込めるような感覚になる。これがジャズであれば、過去の世界は感じられても、自分たちとは離れたものとして見てしまうだろう。
音楽は現代的にアレンジしている一方で、他の部分は原作、時代に忠実である。ニックが精神病院で医者に物語を語っているという設定を加えることで、原作通りの言葉で多くを語ることを可能にし、さらに3Dを利用し、言葉を浮かび上がらせる演出することで、ナレーションを強調しているという。さらに、ギャツビー邸も、実際に1920年代に存在した跡地をほとんどそのまま生かしたそうだ。

 音楽は現代的に、セットや時代には忠実に。『華麗なるギャツビー』のこの演出は過去二作とは異なる。『ロミオ+ジュリエット』は原作のセリフはそのまま、時代はそっくり丸ごと現代に移した。もちろん音楽も現代の音楽だ。バズ曰く、シェイクスピアの文体はリズムに満ちたもので、現代のラップがそれにあたると考えたという。さらに、「リズムある言葉で観客を引き寄せ、聞き慣れた大衆音楽で芝居を引き立てた」とも語っているように、ラップに限らず、様々な大衆音楽をミックスして音楽をつけている。音楽チームはダンス音楽やテクノ音楽で名の知れたメンバーで構成されており、教会音楽や民謡など観客に馴染みのある音楽を現代風にアレンジしたり、音を切り離して組み合わせおしたりして、何層にも重なった音楽を作っているのである。
これを踏まえた上で、『華麗なるギャツビー』の音楽を聞いてみると、派手なパーティーシーンのEDMの裏で小さくチャールストンのような音楽が流れているのが聞こえる。つまり、1920年代の伝統的なジャズを下敷きにして、ヒップホップとブレンドさせているのである。ただ、当時の感覚を伝えるために現代音楽を利用するだけでなく、フィッツジェラルドの意図を組み、ジャズをきちんと活用させているのである。ジャズが使用されているのはこのパーティのシーンだけではない。
例えば、ウルフシャイムと"ランチ"をするシーンのカフェでは小さくジャズのような音楽が流れているように聞こえる。そのカフェの奥は実はもぐり酒場で、いかがわしい雰囲気が漂っていることから、当時の人にとってジャズが怪しげでスリリングだったことをも伝えているのだろう。
バズの音楽へのこだわりはジャズやヒップホップだけではない。ジャズやヒップホップを引き立たせるために、映画音楽らしい音楽やクラシックも使用される。例えば、ギャツビーとデイジーと過去の回想ではクラシックと伝統的な映画音楽を融合させたような音楽が使用される。このシーンではデイジーの髪が長いことからも、まだ白人たちの間にジャズは浸透していなかったことが分かることから、その頃の思い出の音楽がクラシックだったのだろうと想像できる。これはギャツビーやデイジーが生きた時代を音楽で表現していると言えるだろう。

『華麗なるギャツビー』が一部の音楽だけ現代にし、あとは原作に従い、『ロミオ+ジュリエット』はセリフだけ残して時代を全て移した。『ムーラン・ルージュ』が他の二つと違う点は、有名な原作がない点、そしてオリジナルのミュージカルである点だ。
映画を制作するとき、舞台版や過去の映像化がなく、全くのオリジナル作品にOKが出ることは滅多にないという。この作品は20世紀フォックスが出資しているが、この作品の後にオリジナルミュージカルの企画が通った作品は来月公開の『グレーテスト・ショーマン』までない。実際この『ムーラン・ルージュ』はアカデミー賞作品賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞のミュージカルコメディ部門において作品賞を受賞したほど評価の高い作品となった。そんな『ムーラン・ルージュ』ではどんな演出を行っているのだろうか。

『華麗なるギャツビー』がジャズをメインに据えていて、『ロミオ+ジュリエット』はヒップホップをメインに据えているとしたら、『ムーラン・ルージュ』は20世紀の名曲の数々がメインとなる。日本人の私でも聞き馴染みがあり、知っている音楽が多く世界観に引き込まれやすい。デヴィッド・ボウイ、Beatles、エルトン・ジョンなどロックからオペラまでありとあらゆる音楽をテンポの早い派手な映像と共に流しているのである。
この映画において何が素晴らしいかといえば、主演のニコール・キッドマンとユアン・マクレガーの演技力と歌唱力とも言える。特に、この作品において、ニコール演じる高級娼婦サティーンを惚れさせる歌を聴かせるユアンの歌声が美しく、自分は娼婦ではないけれどユアン演じるクリスチャンに恋をした気分になるのである。
『ムーラン・ルージュ』において歌われているのは一貫して"愛"だ。特に詩を意識した様々な名曲をアレンジし、ミュージカルにすることで、愛の感情を音楽で表しているのである。

ここから考えてみると、バズ・ラーマンの監督作品は全て愛がテーマになっていることが分かる。『ロミオ+ジュリエット』、『華麗なるギャツビー』ともにミュージカルではないので、主人公たちが歌う場面はないが、音楽的に愛を表しているのだ。
『ロミオ+ジュリエット』では一目惚れするシーンの「Kissing You」が印象的で、この歌がかかることで恋に落ちたことを表している。
『華麗なるギャツビー』では歌というわけではなく、曲の使い方によって感情の変化を表しているように感じた。ギャツビーが自分とデイジーの過去を回想しながらニックに語るシーンでは、キスをするシーンから音楽が変化する。キスをしたことで二人は愛し合い、ギャツビーの運命を変えた境目であったことが演出されていると考えられる。同様の演出はプラザホテルにおいてギャツビーが怒鳴る場面でも使用される。これも一種の境目でさっきとは逆にデイジーの心が覚めていく転換点を音楽で示しているのである。

 さて、ここまで三つの作品を音楽という観点から考察した。どれも、いかにもバズ・ラーマンらしい作品と思っていたが、それぞれ違った演出がされており、多種多様な音楽を様々な形で使うことで映像と音楽のバランスの良い作品になっていると言える。
音楽だけでなく豪華絢爛な美術もバズ・ラーマン作品の特徴で、見た目の派手さに負けないような個性ある音楽が使用されているとも考えられる。バズ・ラーマン自身が音楽を愛しているからこそ、ダンス音楽やテクノ音楽に造形の深いメンバーで音楽制作チームを作ったり、ヒットソングをアレンジしてミュージカルにして歌わせたり、ジャズを当時の感覚で味わうためにEDMと組み合わせてみたりと新しい映画における音楽の表現方法に挑んでいるのだろう。
バズ・ラーマンの頭の中には次にどんな構想があるのだろうか。これからの作品も非常に楽しみである。
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