エディ

未知との遭遇のエディのレビュー・感想・評価

未知との遭遇(1977年製作の映画)
3.4
宇宙人と人類のファーストコンタクトを描いた記念碑的なSF映画なのだが、印象的なラストシーンを除くと、映画全体としてはかなり不満だ。異星人の存在を隠蔽しようとする政府と、異星人からのメッセージを受けたかのように異星人の存在を信じる人との対比を描き、ラストのコンタクトにつなげようという意図は判るのだが、「宇宙人がいる」と叫び精神を病んだ連中によるホラー仕立ての映画になってしまっているので描く方向性を間違えているように思ってならない。

数十年前の第二次大戦中に使用された戦闘機は砂漠で発見されたり、航空機が未確認飛行物体に遭遇したという報告が相次いで入るシーンから映画はスタートする。明らかに不審な出来事が起きているので秘密裏に世界規模の調査団が設立された折、米国の田舎町で空から降ってくる怪しい光に導かれて疾走する少年が出た。
主人公ロイも同じ光に遭遇した一人で、謎の光のせいで大規模停電が起きたため緊急出勤を命じられた電気エンジニアだったが、謎の光の調査に取り憑かれて失職し家庭崩壊してしまう。
ロイだけでなく大勢の人たちがまるで何かに取り憑かれたかのように同じ姿の山の絵を描き出すが、やがてその山は有毒ガスが出たことで周辺から立ち退き命令が出たと報道されている山にそっくりだと気付き、退避する人たちに逆行するように取り憑かれた大勢が山に押し寄せていく。。。

ラストシーンや、宇宙人とのコンタクト手段であるメロディがあまりにも有名だが、この映画のほとんどは、世間的には異様なものに取り憑かれた狂人による異常シーンを描写しているのでホラーにしか思えない。
ロイを始めとする異星人を信じる人たちの目つきは怪しく、仕事も生活も家族も全て放棄してひたすら見たことも無い山の絵を描いたりUFOウォッチングしているシーンを描くばかりだからだ。

この映画でスピルバーグが言いたいことは何なのかといつも思う。
「異星人は既に来ているけど、政府に隠蔽されているので正しい情報は一般には届かない。なので、存在を信じている人は常に狂人として世間から異端視されている」ことが言いたいのだろうか?

それとも、「異星人とのコンタクトには勇気と、実は既に彼等から受け取っているメッセージを聞く耳が必要なだけだ」ということが言いたいのだろうか?

あの有名なラストシーンがある以上は、自分には後者に思える。

だとしたら、前者の狂人的な描き方は映画の伝えたいことを却って判り難くするだけなのでやりすぎだろう。
だいいち、人類より進んだテクノロジーを持つ宇宙人が地球人とのコンタクトをした結果、人々に山の絵を描かせるなんてことはしないだろう。もっとコミュニケーション手法はあるはずだ。そのくらいロイを始めとするUFO信者に共感できない描き方をしているのがとても残念だ。

例えば、メッセージを理解した人々が結束し、政府に正しい情報を求めるように理性的に立ち向かうような設定にした方がはるかにラストの感動につながるのになと思ってしまう。

せっかくの未知との遭遇が狂人たちによるホラー仕立ての映画に成り下がっているのがもったいなく感じてしまう。