ニトー

孤独な場所でのニトーのレビュー・感想・評価

孤独な場所で(1950年製作の映画)
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もうほとんどフリークスの映画にしか観えない。
ある瞬間からボガードの顔が怪物にしか見えなくなってしまって、彼を怪物として観たときにこれはもうほとんどバートン的フリークスの悲哀の映画にしか見えなくなってしまった。

それこそフランケンシュタインの怪物のようにも見えますし、吸血鬼ノスフェラトゥのようにも見えてくる。まあ吸血鬼だとちょっと方向性が違うので、ことこの映画に関しては映画が語る物語の文脈からもフランケンシュタインの怪物に見えたのですが(しかし一方でその浮世とは相いれないからこその魅力に惹かれるというのは、やはり吸血鬼の持つ抗いがたい性的魅力にも映る)、そうやって見てくるとこれはむしろフリークスの映画なのではないかと。

今なら電話が間に合わず絞め殺してしまう、という決着もありえるのだろうけれど、そうではなく、あの時点ですでに間に合っていなかったのだ(と彼女は認識する)として、ボガードは自ら去っていくというのは、殺してしまうことよりもよりフリークスの悲哀を感じさせる。
こういう電話が間に合わなかった系の演出って結構見る気がするんですけど、パッと思いつくのが「なるたる」くらいしかないというデータベースの浅はかさ。
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