TJ野

霧の中の風景のTJ野のネタバレレビュー・内容・結末

霧の中の風景(1988年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

テオアンゲロプロス監督作品を初鑑賞。
ある姉弟が、生まれてから会ったことのない父親に会いにドイツに行くロードムービー。しかし、これは普遍的なロードムービーではなく、数々のリリカルな詩的表現に満ちた、ある種ファンタジーにも似た、叙情的作品である。事実テオアンゲロプロス監督は、この作品を「おとぎ話」だと自身で語っている。
父が存在しないことを知ってしまっても旅を続ける、しかし、理不尽な社会に揉まれ一度それを諦めそうになるほど絶望する。しかし、同じく社会や時代の流れに苦悩する、若い旅芸人と会うことで、愛情と温情に触れ、奇跡的にお金も手に入れ、ドイツ行きの列車に乗ることができる。もはやこの姉弟は、父の存在をドイツと重ね合わせ、ひたすらにそこを目指すより他ない。
しかしながら、旅券がない二人は、川を渡り密入国することにする。しかし、警備に発見され、発砲される。夢か現実か、二人は目覚めると、川を越えていて、深い霧の中に一本の大木を見つける。二人は一目散に木に駆け寄る。大木に「創世記」における生命の起源の混沌と、二人の生命の起源である父なる存在を見出した二人の旅はここで終わる。
アンビエント的映画。撮影現場のアトモスフィアが画面越しに伝わってくる。天空に浮遊する(ように見える)石像の手。恐らくなにかを指していたと思われる、その人差し指が折れて無くなっている。神の手を思わせるその手は、目的をなくした三人の旅を暗示している。だからこそ、最後のシーンは、奇跡的で感動的であるのだろう。
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