むらみさ

大阪物語のむらみさのレビュー・感想・評価

大阪物語(1999年製作の映画)
4.7
「ええ加減にしいや」

昨今は全国共通言語になったこのつっこみの台詞。本作を見る前と見たあとでは、その響きが変わって聴こえる。
圧倒的に、懸命に生きる者に優しい響きとして。

いい加減に生き失踪したオトン(沢田研二)の、漫才を志す前夜の徒然なる時間を楽しそうに話してくれる大人たち。
生きているうちに他人から家人の面影を知ることができるのは、自分のルーツを辿ることができるのはとても羨ましい。
故人になってからでは遅い、死んだ者と違い生きていれば顔を付き合わせられる。還る場所がある。
いちばん近くに居るオカン(田中裕子)は何も語らない。肝心なことは語れないほど、オカンは‘女’に戻ってしまっている。
現実にも夫婦のふたりの役者の顔を、もっと見ていたくなる。
こころが漂ってひとりぼっちになってしまう時に届いてくる誰かの優しさが丁寧に描かれ、それがばっさりと切られてしまう世の残酷さも、大阪の街や雑踏の映像と相まって観賞者に届いてくる。

自分の1年後もわからない、空をつかむような過渡期の14歳わかな(池脇千鶴)にとっての、仕事でも家庭でも顔を付き合わせている父母の、生々しい別れの会話を見せられる空気感の描写は秀逸。
ひとの表も裏も見せても可笑しみを感じさせる‘大阪’という街の持つ懐が優しい。

故市川準監督の映画を劇場で見たのは、物心ついてその作風に強く惹かれてからかなり少ない回数だったので、DVD復刻でその細部まで見られること自体がかなり嬉しい。
失踪したオトンの人となりを複数の知人が語るモノローグで知る・という演出、画面に広がる光は計算されているようで限りなく自然、映る者のシルエットを美しく浮かび上がらせる。
市川準イズムの眼福。

わかなととおる(南野公助)の瑞々しい一瞬を長回しで撮る、犬童一心脚本が活きた素敵なコラボレーションも良い。

こころと身体の成長が解離してしまう14歳の不確かさと、連れ添った父母の男と女の熟した季節と。ミヤコ蝶々さんはじめ高年の知人たちの人間讃歌と。
すべてひとつの映画のなかにおさめてしまう本作の魅力に救われる。

3年後、20世紀~21世紀をちょっと見て…と未来の話を淡々とできる様になっていくわかなのラストシーンは、終わって欲しくない「映画」という限られた時間を永遠にしてくれた。
むらみさ

むらみさ