優しいアロエ

アメリの優しいアロエのレビュー・感想・評価

アメリ(2001年製作の映画)
4.0
〈カラフルな井の中で蛙は運命に奔走する〉

 ポップなデザインと奇抜な編集を脳ミソが喜ぶアメリ療法。脳への餌やり、目の保養、コロナに対する最適解。ビジュアルの宇宙に身を投じ、疲弊する楽しさを教えてくれる。

 キャッチーな映像に魂を売っているようで、実はブリュノ・デルボネルの堅実で洗練された撮影美が光っている。デルボネルは本作でオスカーにノミネート、ヨーロッパ映画賞受賞を果たした。この撮影から透けるプロフェッショナリティはアメリのあどけなさと不釣り合いなのではとも思ったが、それはもうモンスタークレーマーの域だからやめた。
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 さて、「ポップな映像センス」「そこに混じる毒っ気」「他人に不慣れなキャラクター」などから、『天才マックスの世界』をはじめ、ウェス・アンダーソンを意識せずにはこの作品を観られなかった。ここでは無茶を承知で両者の違いを探りたい。

 アンダーソンは、現在こそスペクタクルに比重を置くようになったが、元々、母子家庭育ち&風変わりだった自分と熱心に向き合おうという想いが作品に通底している。そのため、変わり者のキャラクターが、意外にも泥臭い会話や告白をしはじめる。そして、作品のなかで父子の和解や夢の実現を叶えようとするのだ。

 一方、ジュネはまだ『アメリ』のみ観ただけだが、本作に限って云えば、キャラクターに普遍的な成長のプロセスを踏ませるつもりがない。アメリは学校にも通わず、カフェという非常に狭いコミュニティで生計を立てている(客まで同じメンツ)わけだが、本作はそんな変わり者にも彼らなりのステキな運命が待っているよと気楽に謳う。だから、アメリと青年はハッピーエンドを掴むものの、最後まで閉鎖的なセカイにいるままだ。これでは可愛くデコレートされた井の中から抜け出せているとは言えない。だが本作は、彼らがようやく掴んだその幸福を盛大に祝福するのだ。

 この変わり者大肯定なお気楽さを倫理性の浅さや普遍性の薄さととるか。それとも、キャラの性格まで含めた徹底的にファンタジックな世界観に酔いしれることができるか。そこが評価の分かれ目なのかなと思う。
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[余談]
 本作はナレーションが膨大で、これは本来であれば私のものさしに反する。だが、本作ではそれが気に障らなかった。というのも、ストーリーテリングをナレーションに頼っているわけではなく、膨大なナレーションそのものを「目的」にしているからだ。

 では、その「目的」とはなにか。穿った解釈だが、ナレーションの存在を強めることで、風変わりなキャラたちのカオスに陥りそうな世界に「まともな視点」を付与し、均衡を保っているのではないだろうか。あるいは、童話を読んでいるような印象や、製作者がアメリを見守っているような印象を与えたかったのかもしれない。
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