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スケアクロウのmasatのネタバレレビュー・内容・結末

スケアクロウ(1973年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

人生に対して図々しく、強い。
人生に対して何もかも受け入れ、弱い。
そんな二人の道行ならぬ“行進”が、
トップカットから“突然”始まった。

なぜ道行ではないのか?それは制作年度が1973年だからだ。
1971年、65歳の老トランボとボグダノヴッチの閉館と消滅点の3本の作品で、アメリカン・ニューシネマは終わりを告げた。
死を持って“負け”を認める、そんな姿を肯定化する時代は終わり、次の時代に向かい、それら作家や分子は成熟していく。
まさにその始まりを告げる様な本作は、その代表作となった。

人生を受け入れる弱きアル・パチーノは、人間が“壊れる”瞬間をスクリーンに炸裂させる。人格が崩壊した彼は負けたのだ。
片や、ジーン・ハックマンは、その巨体でその哀れを痛感しながら、必死で溜めたなけなしの事業費を全てアルへと注ぐ。しかし絶望せず、靴の底、靴の踵を大地へ叩き付けながら、さらなる“行進”を始めるのである。
これ以前のニューシネマだと、心中するかの様な“結び付き”を遂げる二人は、本作に於いては、一人は壊れたが(死なず)、一人は進むことを選択する。
即ち『イージーライダー』(69)は勿論のこと、『真夜中のカーボーイ』(69)とは明らかに違った。そう、“違った段階”へとニューシネマは進み、拡がりを観せようとしているのだ。
これが成熟である。死という方法以外で、次の段階へと進もうとしている、アメリカン・ニューシネマの進化系が観て取れるのである。

では、そんな二人の“行進”、何故“突然”なのか?
ファースト・カットを観よう。
映画は“ファースト・カットでキマる”と名匠は言ったが、本作はどうか?
カットイン、広がる小高い芝生の丘が映し出され、その中央をこちら側(カメラ)へと歩いてくる男がいる。その男が、どこから来て、こんな最果ての地を何故歩いているのかが全く語られない。
そのカットの瞬間、
“映画はもう始まっている”
“この映画の何かはすでに始まっている”
のだと、トップのたったワンカットで気づく。
このカットの迫力により一気に観客を惹きつけ、動いている映画に乗せられるのである。
ハンガリー出身の名カメラマン、ヴィルモス・ジグモンドの捉えた画の力量は言うまでもない。

さらに驚くのは、その小高い丘から、舗装された道路へ、落ちる様に転げ出る男、そのカット。
そう、どこまでも続く“ハイウェイ”、どこまで走っても“何も無い”あの長く続く道だ。(67年から5年間で、“そのこと”を痛感した我々は、あの道に出てはダメ!きっと死ぬ!と思う程に成熟している自分をも発見する)
続くシーンでは、もう一人、小柄な男が同じ道路脇に立ち、登場した。
二人はヒッチハイカー。道の対岸に立って車を待っている。そうか、これはベケットなのか。ゴドーという名の神を待つ話なのか、と知る。
かくしてこの強烈なトップシーンの鮮烈さを持って、突然、心で(ゴドーを)待ち、足で探す旅、
その行進が高らかに始まるのだ。

当時まったく相手にされなかった、フェイ・ダナウェイの七光り、監督ジェリー・シャッツバーグの非凡な威力を感じる力作である。そして、こんな突然始まってしまうロードムービーへとスリリングに釘付けにするカメラマンの奇跡のルックに、演じ手以前に監督との凄まじいコラボレーションを感じる。
さて、その演じ手は、『フレンチ・コネクション』(71)でアカデミー賞を制した直後の男と、『ゴッドファーザー』(72)に出た直後の男である。
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