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駅馬車のKamiyoのレビュー・感想・評価

駅馬車(1939年製作の映画)
4.2
”駅馬車”(1939) 監督 ジョン・フォード

何十年前に映画館で観た時は、フイルム状態が悪く、細部は暗くて分からなかったが、今回はデジタル・リマスター版は鮮明な画像の迫力と高揚感に酔った、光と影のコントラストがモノクロとは思えない
美しさを生みだし、スクリーンに釘付けにする。
B級映画として作られたこの映画が、なぜかくも愛され続けているのかがよく分かる。
30年代まだ映画製作技術が未熟だった時代に、これほどダイナミックでスピード感あふれる映像が、スクリーンに映し出されたら
観客は皆湧き立っただろう。当時の歓声が聞こえてくる気がする。

細部などほとんど忘れて、覚えているのは
有名な駅馬車とアパッチとの攻防シーン。
広大な平原での疾走シーンは何年たっても忘れない。
それともう一つ。酔っ払いのブーン(トーマス・ミッチェル)が
出産に立ち会うため酔いを覚ますべく
コーヒーをがぶ飲みするシーン。何故か妙に記憶に残っている。

駅馬車にたまたま乗り合わせることになった乗客や馭者らの人間ドラマがしっかりと描き込まれていたからに違いない。。
狭い駅馬車の中での会話や交わされる視線などが個性的な面々を
炙りだしていく

騎兵隊の夫の元へ向かう身重の妻ルーシー、彼女を気遣うようにふらりと加わるギャンブラー、ハットフィールド
娼婦ダラス(クレア・トレヴァーー)は街の婦人たちから追い出され、酔っ払い医師ブーンは貸家を追い出され、だが、ウィスキーの鞄をもった行商人ピーコックにすり寄る。
そして、なぜか銀行家ゲートウッドも到着したばかりの
お金を鞄に入れて、一行に加わる。
アパッチの襲撃を警戒して保安官カーリーも馭者バックの隣に座る。
そして、リンゴ・キッドの登場。片手でライフルを回す
ジョン・ウェインのカッコよさ。
途中の停車場では赤ん坊が生まれるエピソードもある。
酔いどれ医師のブーンのいざという時の男気が光る。

広大なモニュメントヴァレーを突っ切って疾走する駅馬車と
追撃するアパッチの群れ
アパッチ族の襲撃が始まる。猛烈なスピードで馬群が迫る。
疾走する駅馬車、横移動のカメラが素晴らしい。
この時代で、このスピード感。後代まで語られる名スタントの
一発勝負。歴史的、大絶賛のシーン。
数で勝るインディアン、ついには弾切れの運命がやって来た。
絶体絶命、ここでもドラマが起きる。
実に周到なストーリー展開で、1カットの無駄なく、なく、
生死のはざまをリアルに注視。
ついには離れていた騎兵隊が駆けつけて、危機を脱する。

ダラスの深い思いやりと、それを見落とさないリンゴの人間観察が
心に沁みるラブロマンスを生む。
ちょび髭保安官カーリーのジョージ・バンクロフトがダラスとリンゴーを馬車に乗せ馬に石を投げ見逃し、「ドック一杯おごるぜ!」、酔いどれ医者ブーンのトーマス・ミッチェルが「一杯ならな。」と答えるラストは泣けました。
ラストのクレジットはこのクレア・トレヴァーがトップ。
J・ウェインは当時まだ無名に近かったらしい。
二番目のクレジットだった。

フォードを敬愛する
黒澤明作品の素晴らしさは、
エンターテインメント的作風の中に
ほとばしるヒューマニズムだが、
その意味では、この「駅馬車」は
黒澤にとってのフォード映画の中でも
特別な作品ではなかったかと
想像を巡らした。

DVDで生き残る映画は歳月を経るに従って少なくなる。
本作はもはや古典だが、無数の映画の中を生き残った
映画史代表作中のひとつ。
若いアクション映画ファンの方も一度は観賞しておくというのも
悪くないと思う。
古典をどう活用し、あるいは、どう乗り越えていったのか。
新作に繋がる映画技術の原典として、本作のような名作を押さえておくと、映画はまた楽しく観賞できると思う。

この映画は、インディアンへの差別表現があるので、アメリカでは
公共の場での上映が、しだいに困難になりつつあるそうだ。
しかし、けっして差別意識をあおっているわけではない。
当時の現実をそのまま表現しているだけだ。
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