2049

その男、凶暴につきの2049のレビュー・感想・評価

その男、凶暴につき(1989年製作の映画)
4.5
映画好き達に語り尽くされてきたであろう本作を恥ずかしながら初鑑賞。

異様で暴力的、退廃的な作品であり、公開当時映画館で観た人は相当な衝撃を受けたのではないか。

我妻が菊池から「なんで刑事になったんですか?」と問われて「友人の紹介で」と下らない冗談で返すコントのようなシーンがあるが、この菊池の問いに我妻が正直に答えたとすれば、「人を殴れるからに決まってるだろバカヤロウ。悪いヤツをとっ捕まえるためだから殴るのもしょうがないだろうよ。」となるのでは。本人はそうは言わないかもしれないが、深層心理にある本音を引きづり出したとしたらこうなるだろう。
少なくとも『警察』という組織に属していて相手が悪人となれば、我妻にとっての【暴力の正当性】は保証される。

誰にでも暴力性はあるが、現代では生存競争や種の保存のために命をかけ殺し合う必要は無くなった。現代の人間社会では暴力は悪とされ、それを行使すれば逮捕される。そのために我々は暴力性を抑え込み何食わぬ顔で生活し、ゲームの中でゾンビを撃ち殺し、ボクシングや総合格闘技を手に汗握りながら観戦し、モデルガンを眺めてその暴力性を少しずつ発散している。
我妻はどうだろうか。正義の剣を振りかざした彼は相手が学生であろうと、無抵抗であろうと暴力によって支配する狂人だ。暴力には更に強い暴力を、悪にはより大きい悪を。連綿と続いてきた人類の歴史の中身は暴力だ。我妻は現代になっても自らの中に蠢く暗く黒い暴力衝動を抑えることが出来ない人物であり、その上【正義】によって暴力の正当性を付与された凶暴な男なのだ。

終盤、その我妻の暴力は更に強大なものへと昇華される。沸点を遥かに超えた復讐と怒り、『警察』は彼の暴力の正当性を付与する存在では無くなってしまう。つまり、『正義の名の下に行使される暴力』では彼にとって足りなくなってしまったのだ。暴力を超越する殺意によって支配された彼は【正義】の衣を脱ぎ捨て殺戮のラストへと向かう…

「どいつもこいつもキチガイだ」

我々人類は暴力という殺戮に至る病をいつか振り払うことが出来るだろうか…