ハル奮闘篇

チャップリンの黄金狂時代のハル奮闘篇のレビュー・感想・評価

チャップリンの黄金狂時代(1925年製作の映画)
5.0
【 「アパートの鍵貸します」とチャップリンの代表作に共通すること 】

 Filmarksさんを利用し始めて半月ほど。ここまでレビューを投稿した6本は、いずれも何度か観ている、お気に入りの映画たちです。
 1本目の「アパートの鍵貸します」を投稿した後に、皆さんのレビューを読んで、すごく感動しました。
 50年近く前、小学生の僕がテレビ(吹替)で観て泣いて笑った映画を、今の若い世代の皆さんが観て同じように泣いて笑っている。レビューに「ラストが最高」とか「人生で一番好きな映画」なんて書いている方もいる。これはスゴイことです。僕は一映画ファンとして「あぁ、本当にいい映画は時を超えるんだなぁ」と実感して、コーフンしました。今、皆さんの愛してやまない作品・監督・俳優たちが、50年後の2070年の若者たちに同じように愛されて熱く語られる、と想像したらステキですよね。

 ようやく本題です。プロフィールのとおり、僕は小学生の頃、テレビの洋画劇場でアメリカ映画の名作をたくさん観て映画ファンになりました。そしてその頃、「アパートの鍵貸します」を観て感じた「いい人は、辛い目に遭っても、最後には幸せになれるんだなぁ」という、人生を肯定してくれる、この上もない幸福感、それに近い感動を受けたのが「チャップリンの黄金狂時代」でした。
 この映画、もともとはサイレント(無声)映画。再編集でチャップリンのナレーションと、彼自身作曲の伴奏音楽が入ったんだそうです。僕が観たのはフランキー堺(川島雄三監督「幕末太陽傳」の主演)がカツベンを務めたNHK放送版と、中学の時のリバイバル上映です。

 主人公の「放浪紳士」チャーリーは、山高帽、ステッキ、ドタ靴にチョビ髭というお馴染みの格好。「犬の生活」「キッド」「サーカス」「街の灯」「モダンタイムス」などにも登場しますね。身なりは汚いけれど、優しく誠実であろうとする人物像。最初期の作品はスラップスティック(ドタバタ)の要素だけだったそうですが、この頃の作品群には、飢えや孤独に苦しむ人々に対する思いやり、深い愛情が感じられます。この頃には富も名声も得た大スターだったわけですが、作風には貧困だった幼少期が反映されているのかもしれません(ある意味「市民ケーン」みたい)。

 さて「黄金狂時代」です。原題の「ゴールドラッシュ」は、「新しく金が発見された地へ、金脈を探し当てて一攫千金を狙う採掘者が殺到すること」(Wikipedia)で、我らがチャーリーもその一人。猛吹雪で山小屋に逃げ込み、同じ採掘者の大男・ビッグジムと共に生活することになります。
 上映時間はわずか72分。その中にドタバタの笑いとハラハラがあり、愛の哀しさと喜びが詰まった、贅沢な映画です。

 「実際、映画史に残った」有名なシーンがいくつもあります。ビッグジムが空腹のあまりチャーリーが鶏に見えてしまい、銃で撃とうと追いかけ回すシーン。革靴を茹でて食べるシーンでは靴ひもをパスタみたいにフォークに絡めたり、骨のように釘をしゃぶったり。夢で見る、ロールパンにフォークを刺して脚に見立ててダンス芸を披露するシーンは本当に可愛い。そして、特撮で経費がかかったという、崖っぷちの小屋が傾いてチャーリーたちが谷底に落ちそうになるハラハラ。どのシーンも腹を抱えて笑ってしまう。チャップリンのスラップスティックの中でも最高の一本ではないかと思います。

 さらに。この映画には、ラブストーリーとしての哀しさ、切なさと、エンディングの幸福感があります。一攫千金の夢破れたチャーリーが流れ着いた小さな町の酒場。美しい踊り子のジョージアが、からかって彼に優しくする。チャーリーは一目惚れしてしまいます。
 後日、踊り子仲間と遊んでいた彼女が、偶然、彼の住む山小屋に来て、二人は再会。チャーリーは嬉しくて踊り出したいほど。でも、その気持ちを抑えて、レディたちに紳士らしく振る舞います。彼女は偶然、彼が枕の下に、自分の写真と軽い気持ちであげた花を隠しているのを見つけ、ハッとする。ここで観客もまた、チャーリーの秘めた純情を知ってグッとくる。うまい演出です。
 ジョージアは、面白がった踊り子仲間にはやされて、彼に気があるような素振りをしてしまう。チャーリーは天にも昇る心地。でも、観客には、彼女の悪意のない残酷さが見えて、切ない気持ちになります。このあたり、「男はつらいよ」シリーズ(特に第1作)にも通じます。

 踊り子たちは「大晦日にまた来る」と約束して帰ります。チャーリーは働いて稼いでご馳走を買い、いそいそとパーティーの準備。準備万端整えてジョージアたちを待ちますが、いつまでたっても現れません。その頃、ジョージアは約束をすっかり忘れ、酒場で新年を祝い、大騒ぎしていたのです。
 待ち疲れたチャーリーはテーブルで寝込み、娘たちに囲まれた幸せな夢を見ます。しかし目が覚めれば一人ぼっち。酒場のほうから大勢が歌う「蛍の光」が聞こえてくる。山小屋のドアを半分開き、酒場のほうを見やる。雪明りに照らされた、その横顔の哀しさ。(このカット!なんて哀しい表情なんだ!)
 街に出てきて、酒場の外から窓越しに、浮かれ騒ぐ店の中を見て、チャーリーはうなだれて立ち去っていきます。

そして、物語はクライマックスに向かいます。
<以下、ネタバレします。>









 年が明けて、酒場にやってきたチャーリー。バーテンダーから、ジョージアが書いた「約束を破ったことを謝りたい」というメモを受け取ります。飛び上がって喜び、ジョージアを探し回るが、そこで思いがけずビッグジムに再会。ジムは金の鉱脈を発見したがその場所を思い出せず、山小屋で一緒に過ごしたチャーリーを探していたのだ。そしてジムとチャーリーは、ついに金脈にたどり着きます。

 最後の舞台は豪華客船。億万長者になった二人が、セレブとして歓待を受けている。高価な服を着て、葉巻を吸い、満足げな二人。でも、一人になったチャーリーは淋しげ。個室のサイドテーブルにはジョージアの写真が飾ってある。折しもチャーリーの自伝本が出版されることになり、かつてのボロの服を着て撮影に応じる。そこで、三等客として乗船していたジョージアと再会。手を取り合って喜ぶ二人。そこに密航者がいるとの通報が入り、船員が探しに来る。ジョージアはてっきりチャーリーが密航者なのだと思い込んで、彼の乗船賃は自分が払うから許してあげて、と懇願する。やがてジョージアに事情が説明させる。二人は手を繋いで船室への階段をゆっくりのぼっていく。そこにチャップリンの声でナレーション「そう、これはハッピーエンディングです」。
 
 このくだり、上手いですね。観客は「金がある、ないに関わらず、二人の想いは通じ合っていたんだ」と知っているから、心からこのエンディングに拍手を送り、幸福を感じることが出来る。冒頭に書いた「いい人は辛い目に遭っても、最後には幸せになれるんだなぁ」とは、まさにこのラストです。

 チャールズ・チャップリンもビリー・ワイルダーも、作品群を見ればわかるとおり、皮肉に満ちた、痛烈に社会を批判した映画も撮っている監督です。だからこそ、「アパートの鍵貸します」や「黄金狂時代」の愛に満ちたハッピーエンディングは、監督たちの祈りなのかもしれませんね。