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おくりびとのdeenityのレビュー・感想・評価

おくりびと(2008年製作の映画)
4.1
先日、何十年ぶりに葬式に参列しました。当たり前のことですが、そう参加したいものではありませんし、ただそういう経験がないものだからどういう気持ちで受け入れていいのかわからなくて。泣くべきなのか。笑顔はない方がいいのか。人と関わるべきか。否か。そもそもこんなことを考えて参列すること自体が悪いような気もする。とにかく複雑な気持ちでした。
通夜ぶるまいや精進落としなども初めての経験でした。意外と悲しみに暮れるような雰囲気ではないんだな、と思いました。むしろ、しっかり食べる。久しぶりの再会を喜ぶ。そういうところは場がどうであろうとあっさりしたものなんだと初めて知りました。

この作品で扱ったのは「死」であり、その下地があるからこそ「生」というテーマが生きてくる。納棺師という職による葛藤。死に対する「尊厳」と「穢れ」。
自分は死というものを身近に感じる機会があって、別に広末涼子が言うように「汚らわしい」だとか杉本哲太のように軽蔑する感覚がないことはわかった。でもそういう偏見というか忌み嫌う感情自体は理解できないではないし、日本人の感性として持っている部分なのかと納得はできる。

しかし、人は生まれて、そして死んでいく。それは当たり前のことで、誰もが同じはずなのに、生まれることは尊いことで、死ぬことは避けられる。そのこと自体は間違っていないが、しかしそれが正しいわけではない。確かに避けられることではあるかもしれないけど、我々はそういう土台の上に立っていきている。
当たり前に食べている食事だって命だ。死を感じた本木雅弘が広末涼子を求めるのだって「生」を感じたかったからのはずだ。何かの「死」によって、我々は生かされている。大切な誰か、今まで出会った誰かによって土台が作られ、その上に立って生きている。

だから本作においての食事のシーンは珠玉の名シーンであり、殊に山崎努が白子を頬張りながら「困ったことに美味いんだ」と呟いた一言はジーンと胸に響くものがある。
「生と死」が共に尊厳を持つべきもので、「死」から「生」へのバトンを受け取ることが大切なのだ。生き残った者が死んだ者を乗り越えていくことの大切さ。だから「私の旦那は納棺師」と認めることがこの作品においてのメッセージなのだ。
「死」を受け入れた本木雅弘がチェロを奏でるシーンの美しいこと。旦那を受け入れた広末涼子の温かいこと。

そんな重めのテーマを重くなりすぎないように、要所に笑い所を挟んで崩す辺りもよかった。冒頭の大ボケなんてまさにそれだ。
この作品を見たからというわけではないが、生きていることへの感謝は忘れないように生きたい。
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