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素晴らしき放浪者のSNのレビュー・感想・評価

素晴らしき放浪者(1932年製作の映画)
4.5
なぜなら、手なずけていたワンちゃんが逃げ出し、この社会に嫌気がさしたからだ。

ある日、ミシェル・シモン演じるブドゥは橋から身投げする決意をする。本屋の店主、レスタンゴワは窓越しにその光景を目の当たりにし、すぐさま駆けつけ、この放浪者を救助し、家で介抱することにする。だが、無軌道で荒っぽいこの男の振る舞いに、一家は次第に疲弊していくことになる。

『雌犬(La Chienne)』のラストで、浮浪者となったミッシェル・ルグランは、髭もじゃの相貌そのままに、この作品の主人公として再登場する。
この作品は、そもそもルネ・フォショワが脚本を手がけ、リヨンのセレスタン劇場で1919年に上演されたものであるが、1925年に、パリのモーチュラン劇場にて、ミシェル・シモン主演(当然、ブドゥ役である)で再演され、評判を呼んだ。その成功の熱が冷めやらぬうちに、シモンはルノワールにかけあって、映画化にこぎつけたという背景がある。フォショワの原作は、シモンの手によってだいぶ歪められ、特に、シモンが苦心して作り出したブドゥ像は、彼以外が演じることが想像できないほどの憑依っぷりを見せる。「一つの映画の中で一人の俳優ができることのすべてを、ミシェル・シモンはブドゥを通してやってみせた」とバザンが讃嘆するように、わざとらしさの天才であるシモンは、人を不愉快にさせるあらゆる種類の所作をここに提示し、服装や小道具の用い方も含めて、コメディアンとしての練熟した技量をいかんなく発揮している。

そして、思想的(政治的に)にも近いものを共有していたこの二人によって、実にルノワール的に改編されたラストシーン(原作は結婚式で終わっている)が、水面をただようブドゥを、プリアポス的なものへと昇華させる。印象的なこのラストによって遡及的に、レスタングワ家に蔓延るフリーセックスにも似た放蕩さ(可能な組み合わせのすべてを見ることができる)の説明がつく。

ロケーション撮影、群衆、音楽、部屋(窓)の用い方、そのどれもに明確な意図が感じられる。まさに名人芸という名にふさわしい仕事だ。
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