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中国女のarchのレビュー・感想・評価

中国女(1967年製作の映画)
3.3
ブルジョワ大学生達な合宿の中で毛沢東主義にハマっていき、最後には大学でのテロを計画し始めるという話。当時のベトナム戦争や中国での文化大革命を背景にアメリカの帝国主義、ロシアの修正主義を揶揄し、次いでにそういった机上の空論で"思想家ごっこ"をしてる"マルクスとコカコーラの子供達"世代及び、ゴダール自身を嘆いているような作品になっている。
事前知識なしには簡単には観られない作品である。ほとんど分かっていないのが正直なところ。
だが、実は本作はビジュアルや演出的にも、実は分かりやすい物語の骨子としても掴みどころをはある。
ビジュアルについては作中にも言及された三原色を基調とした背景が用いられていて『女は女である』から『メイド・イン・USA』へと続く、ゴダールの"カラー"へのこだわりを感じさせる。

また演出においては、相変わらず映画であることを自覚した映画になっていて、『軽蔑』以来のカメラマン、ラウル・クタールの登場であったり、編集点であるカチンコをそのまま使ったりすることで、あくまでこれは"劇"なのだと印象づけようとする。一方で本作はドキュメンタリー的な映像の垂れ流し感もあるために、作中でも言及されたよう「演劇」という概念を立ち上がらせようとしていることが分かる。

物語の骨子は簡単で、世間知らずの頭でっかち学生が若気の至りで犯罪を犯してしまうという話。(そういった作品は数あるが、『アメリカン・アニマルズ』を一番に思い出してしまう。)
後半は前半で退屈していた人向けに、敢えて『気狂いピエロ』頃のエンタメ性をサービス的に用意したようにも感じさせる。それぐらいいきなり面白くなる。転換点は唐突な列車での教授との会話である。
「爆弾」という言葉と共にカメラが列車のガラスに対して非垂直な3次元的な動きを始める。被写体との距離感をいきなり変えることで、一つの転換点としてそこから話は急激に頭に入ってくるようになってくる。
確かに面白いのだが、頭の入らなさも頭の入りやすさも全部ゴダールにコントロールされてんなぁと感じて多少苦笑いしてしまう。


ロシア「我々がやることはやるな」
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