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エターナル・サンシャインのyoshiのレビュー・感想・評価

エターナル・サンシャイン(2004年製作の映画)
3.8
春は言わずもがな別れと出会いの季節。生きてさえいれば永遠の別れではない。人間は人間との出会いと別れを繰り返して、人格を形成していく。時を経れば、良い想い出は宝石のように磨かれ、失敗や悪い想い出は教訓となる。体験の記憶が自己を作るのだ。この映画の人物たちは浅はかにも記憶を捨てようとする。その顚末は悲しい。

記憶を消すというSF的なハイテク機器も登場するが、この映画は恋愛もの。
「もし失恋の記憶を消せるとしたら、あなたはどうしますか?」というワンアイデアを掘り下げた映画である。

しかも、かなりの男目線の物語である。

別れた恋人(ケイト・ウィンスレット)とよりを戻そうと思っていた主人公(ジム・キャリー)は、ある会社から「彼女はアナタの記憶を消し去りました」という手紙を受け取る。
その会社では、特定の記憶を消す手術を請け負っていた。傷心の主人公は、自分も彼女の記憶を消すことを決意、手術を依頼するのだが…。

主人公は、あまりにつらいその記憶を一時は消そうとするのだが、消去作業中に彼女との幸せだった日々を思い出し、心変わりをする。
しかし主人公の体自体は完全な眠りに落ちているため、施術者側にその思いを伝えることができない。
このままではかけがえのない大切な記憶が消されてしまう! 
記憶の中の彼女はまだ自分と愛し合っていたころのまま、なんとか目の前の彼女を守らなくては!……という展開。

初見の公開当時はコメディだと思って見た。主演がジム・キャリーだからだ。

今でこそ真面目な役を演じるようになったジム・キャリーだが、若い頃は漫画的なキャラクターばかり演じていた。
「マスク」「エース・ベンチュラ」などヒットしていた当時はジム・キャリーが真面目な役を演じるなんて想像もできなかった。
この作品のジム・キャリー演じる主人公ジョエルは全く面白くない。暗くてイジケていて、仕事も車も貧相でファッションにすら色味がない、とても地味な男。

対するケイト・ウィンスレット演じるクレメンタインはサブカルチャー系女子と言ったら良いのか?
積極的でカワイイモノ好きでヘアーカラーとパーカーの色に拘りを見せる。たった1人で、この映画を着色している存在感がある。
「タイタニック」で付きまとったお嬢様イメージを払拭するかのような元気娘だ。

それぞれに違和感を感じるが、この主演二人が、それまでのイメージを覆す努力をしているのは賛辞を送りたい。

しかし、劇中には(愛しているけれど)男女のかみ合わない様子を描いたセリフがしばしば登場する。

ジョエル「退屈な人生だから。話のネタがない。日記の多くが空白なんだ」
クレメンタイン「空白が悲しいの? それとも不安?私は何にでも挑戦して1秒でもムダにしたくない」

正反対の考えを持つ二人だとわかる。
上手く行くわけがない。
それ故に別れてしまった。
当然の結果である。

嫌な記憶はきれいさっぱりに消したい、新しい出発によって、人は幸せになれるというクレメンタインの考えは明らかに女性の視点。(個人的見解です。)

しかし、男はそうはいかない。
よほどの女たらしでない限りは、失恋を引きずるのである。
要は男は馬鹿だから、失ってはじめて大切なモノに気づく生き物なのだ。

映画は奇抜な時系列進行で、観客を摩訶不思議な世界へといざなう。

(時系列は複雑に見えるが、ほとんどジョエルの脳内のイメージなので、あまり気にしなく良い。
時系列がごちゃごちゃして難しいと感じる人は、クレメンタインの髪の色を確認すればいいらしい。)

「もっと記憶の底に私を隠して!」と記憶の中のクレメンタインがジョエルを都合よく励まし、思い出したくない恥ずかしいジョエルの記憶の底まで二人で逃げる。

ジョエルの脳内のクレメンタインは、ジョエルにとって、いつまでも愛してくれている、かなり都合の良い存在なのだ。

当のクレメンタイン本人は、現実ではジョエルとの記憶を消したというのに…。

なぜこの映画が、観る人によって心に残る忘れられない映画になるのか?
その理由は「想い出」を扱っているからだ。

映画のなかでジョエルは恋人との想い出を、ひとつひとつ消していく。

失恋など辛い記憶は、誰しも消したいと思うものだが、ジョエルは記憶が消されていくうちに、違和感を覚え始める。

ちょっと待て、この記憶は消さないでくれ。あ、その記憶も消さないで!と嘆くジョエルの姿は女性にどう映るのか?

かなり「女々しい」(女性の方に失礼な表現かもしれない)のだが、これが男の本性である。

だんだんジョエルは記憶が消されていくことに抵抗を始める。
そして辛い想い出も、じつは大切な想い出であることに気づかされる。

映画の中の「想い出」は見る者個人の「想い出」と結びついて、親近感が湧く。
観客は、主人公の想い出と自分の想い出をシンクロさせるようになる。
記憶が崩れていく場面は、なかなか切ない。

結局ジョエルはクレムの記憶を消されてしまう。
だが、なぜか二人は思い出の場所にそれぞれ導かれ、そこで再会することになる。
二人の新しい出発を示唆して映画は終わる。

このラストがハリウッドのご都合主義的ではあるのだが…。

魂で惹かれ合い再会する二人に「今度は失敗するなよ」とエールを贈りたくなる。

映画の半分はジョエルの脳内世界。
ほぼ脳内一人芝居なのである。
本作は客観的に見ると「愛おしい記憶を消したくない」という男性がもがく物語。

愛の記憶は消し去りたくないというのが男性的な発想。
記憶を消すことにより未来を新鮮に生きるというのが女性的な発想。

その両方を描こうとしたのが、記憶を消す会社の人達のサイドストーリーで見て取れる。
蛇足な気はするのだが、脇役の恋模様もなかなか面白い。

記憶除去手術を行う会社の受付係のメアリーを演じるのはキルスティン・ダンスト。
「スパイダーマン」のヒロインのイメージを払拭する大人な役どころ。
彼女は上司との不倫の恋の記憶を消した過去がある。
記憶を消すことにより未来を新鮮に生きることを選んだ代表。

それを知っていながらメアリーに想いを寄せる技術者スタン役を演じていたのはマーク・ラファロ。
ボサボサ無造作ヘアーに黒ブチ眼鏡で、キルステンにいいとこ見せようと頑張る彼は、今風に言う所の草食メガネ男子か。
この人の出演作はハズレが少ない。

記憶除去手術を受けるクレメンタインを見て恋に落ち、記憶の抜けた彼女を横取りする形で、新しい恋人となるパトリックを演じるのはイライジャ・ウッド。
「ロード・オブ・ザ・リング」の主人公フロドとはまったく違うタイプのキャラクターに挑戦し、職権濫用の物凄く不快な印象を残す。が、演技者としては大成功である。

スタンとパトリックは、記憶を消した女性に言い寄るズルい男の代表である。

この映画では「記憶」を扱いつつ、そこから「誰かを大切に思う気持ち」こそ尊いという恋愛の普遍的なテーマへと向かう。

そして大切な誰かがいないと人生は寂しい…。
と私達観客に訴えてくるのである。
アカデミー脚本賞受賞は納得する。

冒頭に戻る。
お互いが生きてさえいれば、永遠の別れではない。
人間は人間との出会いと別れを繰り返して、人格を形成していく。
時を経れば、良い想い出は宝石のように磨かれ、失敗や悪い想い出は教訓となる。
体験の記憶が自己を作るのだ。
この映画の人物たちは浅はかにも記憶を捨てようとする。

記憶は自己を形成する大切なもの。
主人公はその過ちに気付いた。
この映画には人生訓がある。
突っ込みどころは多いが、秀作である。

個人的には、春にピッタリな映画だと思っている。

追記
パッケージの華やかさは過剰である。