タレンタイム〜優しい歌のネタバレレビュー・内容・結末

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「タレンタイム〜優しい歌」に投稿されたネタバレ・内容・結末

原題 : Talentime


イスラーム映画祭行った時に拾ったビラの映画。
何かハードルが上がりすぎていたせいか、それともコンディショニングに失敗し常に膀胱のことしか考えられない状況に陥っていたせいか、そこまででもって言う感じ。別に悪い映画ではないんだけど。

民族の違いとか言語の違いと買ってインド映画でよくある話で目新しさがないし、障害者ネタ嫌いだし、最後のシーンぐっと来たけどみんな泣いてるせいで興醒めだったしということであまり情緒を揺さぶられなかった。
何か信者が多すぎる気がするのも興醒めの一因かも、みんな人生最高の映画って言いすぎでは。

最後がベタではないのは良いと思った。
あとマレーシア人もインド人みたいな英語の使い方するんだね、ローマ文字圏だからかな。イギリス領だったってのはあるだろうけど。
マヘーシュの姉ちゃん、マレーシア語も喋ってたのかな。あの家は移民って言うのか良くわかんないけど、何世かになれば地元の言葉も覚えるんだろうね。

あとタレンタイムそのものについては下記記事があってわかりやすい。
タレンタイム―1950年代のシンガポール・マラヤにおけるタレント発掘コンテストの社会史(2017年3月)

この映画、マレーシア語、英語、広東語、北京語、タミル語を使ってるらしいんだけど、Aaja Nachleの挿入歌であるヒンディー語の歌O Re Piyaが使われていたのは何でなんだろ。タレンタイムに出ていた女の子のダンスの曲で使ってたみたいだけど、とりあえずこの映画においてヒンディー語って使われないし、しかもこの曲エンドロールにも使われるんだよね。まあいい曲なんだけどさ。
filmarksのあらすじが、これ以上ないくらいにあらすじなので読んでみてください。

音楽コンクールを舞台に描かれる高校生の恋愛と友情、、、なんだけど、テーマには“死生観”が強く出ていた気がします。

劇中でムルー(ピアノが上手な👧)は一家団欒の食卓でショートポエムを披露します。
その中の一説に「私達は血まみれの死を、血肉へと変えて生きる」といった主旨(うろ覚え)のフレーズがあり、これが本作のテーマを象徴しているように感じた。

本作にはいくつかの死が描かれる。
そして、登場人物たちは死を糧に一歩前に踏み出す。
マヘシュの叔父は叶わなかった初恋の人の死を知り結婚を決意する。
一方のマヘシュはその叔父の死から愛すること、生き方を学び、後悔しないための選択へと決意を固める。
ハフィズ母の死によるカーホウの歩み寄りとハフィズの表現(演奏)は上記したマヘシュ叔父の死による行動変容を強調するための類似的な配置のような印象。(ここが一番エモくて最高)

あとは、マヘシュは耳が聞こえないこともあり、台詞無しの演出が特徴的で面白かった。
台詞が無いといっても表情というよりは動き(構図)で“会話”している二人の関係性を表現しているように見えた。
【多民族国家マレーシアのとある街で、音楽コンクール"タレンタイム"に挑戦する、高校生とその家族を描いた映画】

音楽コンクールに参加する高校生の恋や友情、母子愛を描いたベタな設定ながら、マレーシア独特の民族や宗教の問題が背景に描かれることで、ベタな設定が引き立っていて、とても感動しました!!

・ムルーとの交際を許さない母に、マヘシュが自分の気持ちを手話で訴えるシーン。
・ハフィズとカーホウの共演シーン。
の2つにジーンときました!!

"タレンタイム"のその後をあえて描かないのが良いところなのでしょうが…
すごく観たかったです(>_<)
多民族国家のマレーシア。高校で行われるコンクール、タレンタイムに出場する高校生と、その家族の人生のひとときを、優しい眼差しで捉えた作品。宝物のように心に残る映画。

高校生とその家族の人種や宗教は様々。写し出されることも様々で、人種、宗教間の対立、それによる争い、耳に障害のある男の子とピアノの弾き語りをする女の子との恋、優秀なクラスメイトに対する嫉妬、不治の病におかされる母親との語らいなど。多様なエピソードと人々を描きながら、物語が混雑することも、窮屈になることもなく、むしろ余白を感じさせるほど。ゆっくりと呼吸をしながら観ているうちに、本当に何度も感情を揺さぶられ、物語はやがて、タレンタイム本番に収束されていく。

印象的なシーンがたくさんある。

ムルーとマヘシュの語らいは微笑ましく、猫のように丸くなって眠る二人は、穏やかな可愛らしさ。この後、マヘシュの母が息子が宗教を越えた恋をしていると知り、事態が急転していく。その落差が胸を締め付ける。
息子を守りたい気持ちから、激しく感情をぶつけるマヘシュの母、母への謝罪と彼女へ想いが混じり合う気持ちを必死に訴えるマヘシュ。二人が対峙する雨。車の中で泣くしかないムルー。

最初は快活だったがマヘシュの母が、弟を宗教の違う隣人に殺され、なにも食べなくなる。その虚ろな目に宿る隣人への憎悪。

カーホウと父親の車の中のシーン。試験結果を見た瞬間、息子を殴ろうとする父親。台詞の聞こえないシーンだが、密室の中での出来事に、カーホウの逃げ場の無い、息が詰まるようなプレッシャーが、瞬時に胸に届く。

ムルーの家族は、人種も宗教も違うマヘシュを歓迎する。それでも、母親のように心配して、遅くまで二人きりでいるムルーを叱責するお手伝いのメイリン。彼女も家族の一人なのだ。

マヘシュは叔父を失くし、ハフィズは母を失くす。二人とも逝ってしまった人のために祈るが、宗教が違うので、その形はかなり違う。マヘシュは火葬を、ハフィズは身を清め、静謐な場所で祈る。けれどそこにある哀しみや失った人への想いは変わらないのだと、彼らの姿が教えてくれる。

タレンタイムの本番。
歌えずに舞台を降りてしまうムルー。追いかけようとする母親を止める父。「僕たちもそうだった」という一言で、この夫婦が乗り越えてきたものの大きさを思う。
ムルーを追いかけ、語りかけるマヘシュ。手話は、時としてしゃべるよりも雄弁。何を話したのかは分からなかったけれど、追いかけて、必死に伝えようとした行為で全て伝わる気がした。
母との約束を果たすために、と舞台に上がハフィズ。歌い出した瞬間、母親との病室での語らいを思いだし、観ているこちらも胸がいっぱいになる。そこに胡弓で静かに寄り添うカーホウ。人の声に似ている胡弓の音色が 、二人を包み込んでいく。
二人の間には確かに壁がある。けれどそれでも優しくしあうことが出来る。柔らかく、けれど力強く抱擁する二人。

人の間にある壁、負の感情を現実のものとして描きながら、根底には、人は優しくしあえるという、監督の確信があるのではないか。
今後、他者への労りや、優しさを考えるとき、この映画を思い出すだろう。監督の新作がもう観られないのが残念でならない。

サントラは購入したけれど、泣いてしまいそうで、まだ、聴けないでいる。
素晴らしい映画だった。

音楽コンクールタレンタイムに参加する学生、その家族を通して、多民族国家マレーシアにある多様性の美しさ、難しさを描く秀作。

マレー系の母(だと思う)、ヨークシャー出身の父をもつムルーが好きになったのは、耳の聴こえないインド系のマヘシュ。ムルーのことは、難病の母を持ち、秀作で作詞作曲した唄を歌うマレー系のハフィズ
中華系で二胡を弾くカーホウも好きな模様。

彼らは日本の高校生と同じように恋をするけど、複雑な民族や宗教、言語の違いを抱えている。
多様性の美しさが出るのは、言語であり、違いを乗り越えた恋愛、友情。
その反面、難しさは民族間の差別、偏見。それらを話の端々に盛り込む。

例えば、カーホウはハフィズに勉強で負けてることを認めたくなく、マレー系の優遇政策を絡めてハフィズを非難をする。ハフィズはそう言われたくないから努力してると応酬する。
方やムルー家へのマレー系来客は、中華系のお手伝いさんを雇うなと逆の差別を平然と行う…複雑な社会であることが分かる。

複数の挿話を経て、最後、マヘシュの母が交際を反対することを覚り、タレンタイムを退出するムルーと追うマヘシュ。
ムルーの元に駆け寄ろうとする母に父が、「二人きりにさせなさい。私たちも乗り越えたことじゃないか」

それに続いて、母を亡くしながらも演奏するハフィズに、カーホウは二胡で即興で寄り添い支え、わだかまりは解け、舞台上で抱き合う。
マヘシュは取り乱すムルーに手話で初めて感情を顕にしてぶつかって、二人の行方は?というところで、話は終わり。
二人はたくさんのことを乗り越えなくてはいけない、ということを暗示してるのかなと。

さすが多様性先進国。

タレンタイムが始まってから、涙が止まらなかった。

マレーシア映画というなかなか世界に出てこない中から、何年も上映されてきただけある、素晴らしい映画だった。

追記
観て10日以上経ても、感動の気持ちが鮮やかに残る
この映画が伝えてくれる多様性の形は、今の日本、世界、たくさんの人に観てほしい
ささやかながら、スコア追加
人生初のマレーシア映画。途中意識を失いかけた。正直な感想は、、、登場人物の顔が途中わからなくなったし、演出の意図がわからないシーンがところどころあった。苺とか女性教師の告白(好きな人がいる?)とか。
微妙な映画と判断しかけたが、最後にやられた。いろんな人種が生活するマレーシア。言葉や文化が違うのだか、母との約束を果たそうとするインド系?青年。辛い感情を抑えて歌う、、、そんな場面に青年に対抗意識をもつ中国青年が突如セッションしだす。友情にちょいとやられた。
監督の人柄が滲み出てるんだと思う。
マレーシアの人って、表現がストレートなのに詩的なんだな。台詞も表情も全てが美しかった。
「彼女を忘れられる方法を、教えて」の台詞がいちばん心に刺さった。
あの夏、一番静かな海。みたいでよかったし、二人だけじゃなくそれぞれドラマがあってよかった。ラストで二胡を演奏するところでハフェズが歌ってる時は何もせずただ待ってるところに敬意みたいなのが感じられてよかった。
キスシーンなんて必要ない。
クッションを2人で分け合うだけで充分。

本作では、マレー語、タミル語、英語、広東語など、多様な言語で登場人物が剥き出しの感情を衝突させ合います。

しかし、マヘシュの「手話」ほどロマンチックでエモーショナルでピュアな感情表現はあったでしょうか⁇
初恋に落ちた感覚を手話で説明。それは私達大人がとっくに忘れてしまっていた美しいものなのかもしれません。

またラストでの、ハフィズのギターと、飛び入りで参加したカーホウの二胡とのアンサンブルも非常に雄弁でした。


多様性の国マレーシアで、家族同士は全力でぶつかり合い、本気で怒ったり罵ったり泣いたりします(そんな中でも、どの家庭においても我が子を心配する親の愛情が不器用で純粋でした)。
登場人物達は大人から強制されるわけでもなく、詩を詠み、歌を唄い、ダンスを踊り、楽器を演奏します。

舞台となる国の都市化が進み、経済的に豊かになり先進国の仲間入りを果たしたとき、それと同時に失われ、忘れられてしまうような家族との距離感や関係性、ナチュラルに芸術を楽しむ姿勢、そういった本当の豊かさを本作のマレーシアから感じ取ることができました。


BGMの面でもストレートな名曲が大変多く使われていて感動的で、ムルーの歌う"Angel"は特に素敵でした。

また、奥行きを強調した印象的で美しいカットが多用されているのも、本作の魅力のひとつだと思います。

清濁併せ持つということなのか、近所との諍いが殺人事件に発展することや、他の宗教への偏見故に真剣に愛し合う恋人同士でも結ばれなかった叔父の過去、そして作中至る所にアクセントのように出てきたゲップとオナラ笑、これらは監督が切り取った、カッコつけない等身大のマレーシアなのだと感じました。


この優しいマレーシアが、近代化と共にこの大切なものを忘れていかないことを祈ります。
エドワード・ヤンへ捧ぐ

クーリンチェ少年殺人事件の前に流れた予告が本作のもので、
冒頭とラストのシーンのシンクロぶりに驚きました。2007年にエドワードヤンが亡くなって、ヤスミン・アフマド監督も何かしら感じるところがあったのかもしれない。今作が遺作となってしまったけれど、監督がその眼差しを通した世界を劇場で見ることができたことは単純にうれしい。
小津映画をみたときにギドクやエドワードヤンの映画が思い浮かんだように、本作も映画の連鎖の一つとなっていくのでしょう。
「音楽」「聾唖」に「恋」。壁を越える物語の常套手段ですが、
音楽は世代や国、宗教などを超えて"好き"でつながれる。まだ、何者にもなっていない若者たち。
その若者に託した思い。
さらなる飛躍が見たかったけれど、その後はまた誰かが担い手となってゆくはず…。
そうしてこれからもヤスミンワールドに出会える人が増えるといいな。