『ゆれる』
何がゆれた?
あの吊り橋か。
兄の真実か。
僕の心か。
母の死で実家に戻った猛。
そこには、実家のガソリンスタンドを継いだ兄の稔と父の姿があった。
子供の頃によく行った渓谷に行こうと誘う稔。
そんなとこ行ってねーよ、明日俺東京帰るわと猛。
だが翌日、昔なじみの智恵子と三人で渓谷へ向かう。
渓谷ではある事故が起こるのだが…。
本作は、兄と弟の二人の目線から事件が語られる。
昔から優しく真面目な兄。
そんな兄が変わり始める。
兄はなぜ弟を渓谷に誘ったのか。
田舎で毎日同じような生活を続けている兄は、弟をどう思っていたのか。
なぜ兄はウソをつくんだ。
なにが兄を変えたんだ。
どうしてこうなったんだ。
兄弟関係。
どれだけの溝があり、空白があったのか。
父親の兄弟関係と、稔と猛の兄弟関係。
なにがどう違うのだろう。
あの時、あの一瞬、どうするべきだったんだろうか。
兄弟でしか感じとることのできない距離感。
面会での兄の吐露と弟の真実。
仕切りで隔絶された兄と弟の気持ち。
田舎で生きることと都会で生きること。
田舎で生きる僕からすれば、確かに住みにくい場所ではあると思う。
車がないと移動も大変だし、心踊るような出会いも限られるし、流行の最先端をいくような店なんてないし。
でも都会で生きることが人生で優れたことかと言われればそんなこともない。
何が人生で優れているかとか、劣っているかとかなんて物差しじゃ測れない。
この視点は、智恵子の目線としても描いてる。
そういった意味では兄弟という関係を描きつつ、智恵子の存在によって人生の意味や岐路を考えさせる要因にもなってんだよな。
人生の本質ってなんだっけ。
自分らしさってなんだっけ。
本心ってなんだっけ。
感情ってなんだっけ。
「はじめから人を疑って最後まで信じない。そういうのが俺の知ってるお前だよ。」
本作は渓谷での事故の真実をあえて曖昧に描く。
断定的な描写はなく、はっきりとした真実は見えない。
また、本作のラスト付近は二段階で落としてくるんだよね。
弟の気付きと、そこに至る兄弟の信頼。
そうすることで生まれるエンドロールでの余韻が素晴らしい。
確かに本作は、裁判とか事件の一面としては多少不可解な部分が浮かんでくる。
だが、ある事件から兄弟という関係性の中にある揺れ動く心情を見事に描く。
フォーカスされているのは、うやむやになった真実であり、あくまでも最後の二人の表情から全てを観客に委ねるような終わり方。
そうなると香川照之とオダギリジョーの演技はそれぞれ最高だし、この二人の対照さがまたいい味を出してる。
何度も返し返される感情は、香川照之の100%いい人にも見えるし、どこか裏を考えているようにも見える演技があってこそなんだよ。
「僕は人生を賭けて、本当のことを話そうと思います。」
そして最後にこう思う。
『ゆれる』のは観客の心だ。