中学生の頃大好きで、こっそり自室に持ち込んだキャンプ用の携帯テレビ(それでもラジカセ並みの大きさがある)に使わなくなったビデオデッキを繋いで何度も見ていた作品……なんだけど、大人になって見返すと自分勝手な連中のオンパレードで、ディレクターが活躍しだすクライマックスまでひたすら『不快』な映画に変貌してしまった。
やっぱ少年の頃はまだまだこういう自分勝手な人々ってのが『作り物』『大げさ』よく言えば『大人気ない』ものとしてしか映らなかったのだろうなぁ。
いっぱしの社会人になって、その傍ら本出したりという20代を経て、35になった今見ると、実際こういう人々のわがままに右往左往させられることってあるし、自分が血反吐吐いて書いた本をあんな風にめちゃくちゃぶっ壊されたら、スタジオに立てこもりたくなるのもわかる。
『私は未熟だから、本が直されるのはしょうがない。でも、律子は寅造と一緒にならなきゃダメなんです!』
例え、自分しか応募がなかった賞でも最期まで書き上げた本が誰かに読まれたら、そいつはプロでもアマでも『作家』であるし、作家には絶対に譲れない一線がある。
それを自分の進退をかけて守ろうとする工藤ディレクターは、クリエーターが一緒に仕事をしたいと望むプロフェッショナルの理想像だと思う。
とはいえ、やっぱり映画の八割は不快なので、今の自分目線ではスコア3。しかし、中学生の頃、大好きで何度も見返していたことも事実なので、少年時代の自分を尊重して、当時のままスコア4でつける。
ラストの工藤ディレクターと大田黒との間で交わされるやりとりが名画「スティング」のラストのオマージュなのがニヤっとする。こういうさりげなさ好き。