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フェリーニの道化師のnivsanのレビュー・感想・評価

フェリーニの道化師(1970年製作の映画)
3.9
2017年は368作目で幕を閉じました。
2018年7作目ですが、初投稿。
友達がめちゃくちゃ面白いよとBlu-rayを貸してくれたので、観賞した今作。
正直、めちゃくちゃ面白い。
しかし解説をするには私のフェリーニや道化師、サーカスに関する知識が足らない為、感想のみを述べさせてもらう。

少年時代のフェリーニの記憶から始まるオープニングの美しさと陽気さに心を奪われ、間髪入れずにストーリーはドキュメンタリーとドラマが共存する現代に移行する。
その流れのまま騒がしいラストへと繋がり、全てが去った後、寂しさが残るサーカスは独りの道化師の思い出と共に静かに幕を閉じる。

オープニングのフェリーニがサーカスを触れ、回想するまでの一連のシーンは構図や色味、カット割りから展開、何から何まで素晴らしい。
そして同時にアレハンドロ・ホドロフスキーのリアリティのダンスのオープニングの演出に近い気がした。
何方も監督の経験談というのがまた面白い。
あとアンダーグラウンドで有名なエミール・クストリッツァの世界観に似た匂いがする作品でもあると感じた。
独自の世界観を我儘に進むイメージの両監督も他の監督と同様にフェリーニに強い影響を受けたのかも知れない。

テレビからの依頼を受け制作された今作だが、その事実を劇中で語り、道化師達に取材をしてゆくフェリーニの現状までありのままに写すという発想と、道化師達の語るエピソードを元にしたドラマを劇中に組み入れる演出が非常に素晴らしい。

個人的に道化が好きで色々調べており、舞台上の彼らの陽気な姿も拝め、非常に楽しめた。
一番驚いたのは喜劇王チャールズ・チャップリンの娘が突然現れた事である。
彼女はある道化師の助手の様な立場で現れるが、笑顔が父親のチャップリンにそっくりで驚いた。
チャップリンもサーカス出で、彼の演じるチャーリーという放浪者は正に社会に放り込まれた道化その物であり、道化らしい矛盾を身体で見事に表現している。
劇中にひっそりとだが、チャップリンと同じく喜劇王のバスター・キートンが写真で写る。

ラストのエピソードはあまりに美しく、上手く言葉にできない。
祭りの後、静かな世界で彼が独り椅子に座り、自らの思い出を語り出す姿が脳裏に焼き付いている。
あの語り出し方は本当に良かった。

先程述べたバスター・キートンがよく作品制作に関わるインタビューで話している言葉が今作を振り返る上で浮かんだ。
「映画は始まりと終わりさえ良ければいい、間は何とでもなる。」
今作の始まりと終わりは素晴らしい。
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