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ゴジラVSデストロイアの教授のレビュー・感想・評価

ゴジラVSデストロイア(1995年製作の映画)
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第2期ゴジラシリーズの最終作。

監督/大河原孝夫、脚本/大森一樹、特技監督/川北紘一、そこに音楽の伊福部昭。
という安定の布陣で臨んでいる点からも気概は感じる。のだが。どうにもメインプロットが弱い。

「最終作」と銘打ちついに「パンドラの箱」を開けたが如く初代ゴジラの「オキシジェン・デストロイヤー」を出してきて「デストロイヤ」という新怪獣が出てくるも…微妙。そもそもがパンドラの箱なわけで、開けるなら開けるだけのディテールを積み上げるべきなのだが、残念ながらその辺りはまるで活かされてはいない。

初代ゴジラの傑作とされているところは「科学vs科学」という側面があり、人類は科学によってゴジラをつくり、そのゴジラを倒すためにより強大な「兵器」である「オキシジェン・デストロイヤー」を作り上げてしまう、という文明批判としての秀逸さがある。
そのオキシジェン・デストロイヤーから生まれた怪獣、としてのスペックや造形が全く見られない。

更に、辰巳琢郎や石野陽子という主人公がほぼメインストーリーに何ら関係がない。デストロイヤを作り上げてしまう科学者でもなければ、その科学やゴジラとの共存などを批評するジャーナリストでもない。

これまでの「第2期」を支えてきた小高恵美だけは確かに感極まって泣いても良いキャラクターだとは思うが、大沢さやか演じるアメリカナイズされた役人というのが邪魔になってしまう。

何より初代からの連なりで、河内桃子が山根恵美子として登場するも、尾形への言及はなく未だ「山根」の姓を名乗っている。そして「芹沢」のことばかり話し、何故か「初代」当初の「山根博士」の写真が置かれていたりと、時間経過の描写が雑過ぎたりする。

全体的に段取り臭く、有終の美に至らず本作を以て実質「ゴジラ」という貯金は使い切ってしまったのだと痛感した。
褒められる点としては、大森一樹の脚本家としての力量としてきちんと最低限度「怪獣映画」としてのケレンや映画という表現自体の「型」。傑作である「ゴジラvsモスラ」にもあった禍々しさについては延々と語り続けるという姿勢は評価できる。

今回は高嶋政宏のカッコ良さも含めて自衛隊がそれなりに健闘していたり、特撮部分でのキレ味や、これまでとにかく邪魔だった「ベビー(リトル)」がジュニアとなってそれなりに共感性の高いキャラクターに仕上がっていたりと良いところも散発的にはあったりする。
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