開いた口が塞がらないとはこのことで。
悲しい。ただただ悲しい。
こんな現実があっていいのでしょうか。
終盤「嘘でしょ、このまま終わらないで、こんな悲惨な終わり方しないで」と思わず口から溢れるほど。
2000年から約5年間にわたり、聾唖学校で起きた児童性虐待事件を小説化。
その後、2011年、小説を元に映画化されたのが今作「トガニ」。
トガニは和訳で「るつぼ」という意味。
学校校長含め、職員、並びに多くの関係者が生徒数人を陵辱、虐待します。
中盤以降、裁判シーンになりますが、権力、金を振りかざし事実を闇に葬り去るわけです。
ハッキリ言ってクソ死ぬほど胸糞悪い。
「小説を元に」ということで、多少大げさに書かれてるのかなと思いきや、著者曰く「事実はもっと酷すぎました」とのことで、むしろ事実を多少マイルドに書いてるそうです。
ムジンという都市から離れた街で起きたこの事件。
印象が強すぎて色々調べたのですが、映画化した後にもドラマがありました。
映画では、いわゆる、「胸糞悪い終わり方」な訳ですが、この映画の影響で韓国の世論が動き、再審、その後加害者達は実刑がおりたそうです。
ちょいと調べましたが、具体的に誰にどのくらいの刑が科せられたのか細かくは出てこなくて心残りではありますが、少なくともあの中の誰かに12年の実刑が科せられたそうです。
でもあれだけのことして12年。たった12年。
悔しいです。
そして、明るみに出てないだけで、韓国のみならず日本でもアメリカでもアフリカでもロシアでもブラジルでも無限にああいった悲惨な事件が起きてるのでしょう。
そう思うと、なんかのうのうと人生を生きている自分が恥ずかしくなってきました。
劇中の最後に、
「私たちが戦わなければならないのは世界を変えるためだけでなく、世界が自分たちを変えさせないためだ」
と、人権センターのユジンが言っていましたが、とても心に残りました。
最初よくわからなかったし、今でもよくわかってないけど、なんか深いなぁと。
解釈するに「誰かが何も動かなければ世界はどんどん人間の私利私欲をむき出しに悪い方向に行ってしまう。だから誰かが、何かに気づいた誰かが、自分の中での正義を貫き、信じ動かなければいけない」ということなのではないかと。
人生一度きり。時間も有限。僕の人生で出来ることなんて大したことないです。どうせ与えられる影響なんてミジンコみたいなもんですよ。
けれども、何かに気づいて、何か救える、助けられることが目の前にあるのなら、絶対に目をそらさないようにしたいと心から思いました。
この事件だって、カン・イノ先生が、一介の美術教師が、行動に移さなければこの時間は表沙汰にはならなかったかもしれない。
原作を読んだコン・ユが自ら映画化して出演したいと申し出て活動を行わなければ、映画にならなかった、事件の再審もなかったかもしれない。
だれかのたった小さな勇気が、行動が、韓国を変えたのです。
この映画は何か道に迷った時、小さな一歩を踏み出す勇気を与えてくれるでしょう。
勇気もらいました。ありがとう。