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紀子の食卓のKSatのレビュー・感想・評価

紀子の食卓(2005年製作の映画)
3.8
家族の崩壊と「似非家族」という新しいかたちでの再生、という大まかな流れは「愛のむきだし」と同じだが、こちらはよりシンプルに見える。

園子温の映画は、「私は詩人です」と言わんばかりのモノローグとそれを盛り上げるジャンプカットが多いが、これはその極北。しかし、ウザいはずなのに不思議と見ていられるのは、言葉が持つ純度が高いからなんだろう。

だから、言葉がなかったり、力を持たなくなった時の園子温の映画は、ただのバカ映画にしかならないのが事実だ。

これは、バカ映画ではない方の、純粋で面白い、いつまでも見ていられる園子温映画だと思うが、少し惜しいのは、映画の後半になると、あんなに魅力的に見えた吹石一恵や吉高由里子、つぐみではなく、光石研がただただ可哀想に見えてしまうことだ。

また、主人公が処女であることを気にしているのに、その問題が完全に打ち捨てられてしまうのも気になる。

しかし、上野駅を彷徨く高揚感、「家族ごっこ」をする場面の幸福感と違和感の同居、青春を完全に喪失する幕引きなどには、言い表せない切なさがたしかにあった。
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