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東京物語のSIのレビュー・感想・評価

東京物語(1953年製作の映画)
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2018.3.18
ノートPCにて鑑賞

「そうですなあ。さればとて、墓に布団は着せられずや。」

世界の小津。
2012年、英国映画協会(BFI)の「映画監督が選ぶベスト映画」でベストワン映画に選出された。
今では海外で「史上最高の映画」を特集する際に必ず入ってくる一作だが、公開当時の日本での評価はそれほどでは無かったようだ。

幾つか気になった点を挙げる。

・第四の壁を破るような真正面からの撮影
まず、小津は会話劇にてイマジナリーラインを想定せず、むしろイマジナリーラインの直上にて撮影を行っている。
これによってまるで役者が皆観客に話しかけているような感覚を覚える。
・反復する会話
これは題材に因っているところもあるだろう。両親が子供を訪ねるもののどことなく冷たさを感じる、というただそれだけの起伏で終盤まで繋げるために、この作品は現実世界との距離が圧倒的に近い。その強みを効果的に演出するためにもこのようなテクニックが使われているのかもしれない。
・カメラワーク0
驚くべきことに全てのカットがFIXである。小津は恐らくレイアウトを完璧に構築する事に偏狂的だったからだろう。
奥行き、絶えずバックを動かす事、モノクロ故の光量の緻密なバランス、ポジネガ、映画の基本が全て込められているような感覚さえある。計算しつくされた教科書のようなフレームだ。(逆に言うと独創性は無い)
・和楽器で構成される音楽
静かな会話劇の裏に明るい祭りの囃子を鳴らす事が多く、徹頭徹尾日本的な画づくりに効果的に貢献しているように思われる。

小津が描くのは庶民家庭で普通に暮らす人達の普通の日常である。その日常の中にふと浮き上がってくる機微を、笠智衆と原節子、情趣を理解する二人の目に寄り添いフィルムに収めることで、観客にしみじみとした哀愁を増幅して感じさせる。まさにこれは、「もののあはれ」である。(小津は本居宣長と血縁関係にあり、意識せざるを得なかったのだろう)
子供といえど、つれないところも、かと思えば優しいところもあり、その儚い世の中のなかで人の清濁を受け入れ、必死に生活を営もうとする原節子は、役どころにぴったりと合った人格を演技から感じさせ、やはり小津と素晴らしい関係にあったのだろうと思われる。

ドラマとは外から与えられ一過性に消費するものではなく、自分から日々の日常生活の機微に積極的に見出していくものなのだという事を、この映画は優しく教えてくれる。
伝統的な内的日本文化が映画の形へと昇華した、稀有な作品である。
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