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セールスマンの死のおっとのレビュー・感想・評価

セールスマンの死(1951年製作の映画)
4.3
ミュージカルのアダムスファミリーでゴメスと妻のモーティシアが初めてのデートでこの芝居を見に行ったらしい。「笑える舞台だった」ってセリフがあったから暗い話なんだろうな程度に思って見たらめちゃくちゃ重くて暗くて苦しかった。当たり前だけど笑いどころなんてない。

過去(妄想、幻想)と現実が見事に入れ替わるシーンがたくさんあって、とても引き込まれた。
じっくり見ていないと今が現実なのか過去なのか分からなくてなるっていうのもあるけど、入れ替わりが見事で作品をうまく描いてる。
入れ替わりは多いけど物語に沿っているし、ストレスなく作中の時間も経過していく。
舞台だと暗転だのなんだのやりようはあるけど、この時代の映画で流れるように時の入れ替わりを描いたのは見事だと思う。
入れ替わりがないシーンでもお父さんが実際にいつの時間を見て「いま」動いてるのか分からないシーンがたくさんあって、苦しかった。この人はもう奥さんとか子どもたちと同じ時間に生きていないんだなと。

お父さんは今で言う認知症だとか老人病の類だと思うんだけど、それを「狂った人」ではなく「疲れた人」として見事に演じきっていて感動した。
態度の大きい尊大なお父さんを保ったまま徐々に挙動がおかしくなっていた。例えば最初の方のシーンよりも目線が定まらなくなってるとか首のモーションが多くなってるたか、指の動きが多くなってるとか。
セリフまわしとか態度が変わらなくても「病」の進行を表す芝居はたくさんできるんだなと感じた。
またお母さんの長台詞がすごい。カメラの動きはもちろん多くないので、必然的にセリフ量が多くなると画面に動きがなくなるけど、ただセリフを言うだけでも悲しみや我慢などたくさんの感情を感じられる芝居だった。映画でそれができるのほんとにすごい。
最後の息子が「ずっと大好きだった」みたいなお父さんに抱きつくシーンも怒りから愛への感情の変化を見事に演じていてすごかった。
ある意味、舞台芝居の映画なんだけどラストシーンに向けて作り上げてきた感情をラストで作れる舞台と、カットごとに感情を作る映画とでは少し演技の手法が違うと思っていて、それがすごく舞台的で見ていて引き込まれる映画だった。



セールスマンの概念が日本とは違うから、ラストの葬式のシーンで話される「セールスマン」についての話でハッとさせられた。たしかに仕事はあって、売るものはあるけど「セールスマン」自身はなにも身につけず、作らず、返ってくるものがないんだなと。
誇りを持ってセールスマンをしていた主人公のおじさんの存在がすべて打ち砕かれるセリフですごく悲しくなった。



ほんとにこれはどうでもいいけど息子たちの顎が長い
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