シズヲ

ワイルドバンチ/オリジナル・ディレクターズ・カットのシズヲのレビュー・感想・評価

4.4
※再レビュー

『荒野のガンマン』や『昼下りの決斗』などを手掛けたサム・ペキンパー監督の壮絶なる才能開花。時代に取り残された“ならず者達”による屈折の挽歌、滅びへと向かうオペラ。所謂“最後の西部劇”と呼ばれる映画だけど、サム・ペキンパーの存在を一気に押し上げたうえでニューシネマ期幕開けの一端を担ったという意味では寧ろ“新時代の狼煙”めいている。ジョン・ウェインやハワード・ホークスが本作を強く否定していたらしいのが何だか興味深い。そしてポスターやジャケ絵のデザイン、やっぱり何度見ても格好良すぎる。

この映画、予め60年代以前の西部劇などを把握してから見るべき作品だと思う。その方が撮影技法の進化・飛躍が分かりやすく、尚且つ現代ではある程度定番化した演出が用いられているからである。冒頭やラストの壮絶な銃撃戦は実に凄まじく、多角的なカットの切り替わりやスローモーション、そして容赦なきバイオレンス描写など、古典西部劇とは一線を画す迫力に満ちている。モンタージュなどを駆使した目まぐるしい編集の緩急に加え、強盗団・警察隊・民間人など多数の人物が入り乱れる混沌ぶりも壮観。このダイナミックな演出と映像の疾走感は、そのまま現代のアクション映画へと繋がっていくのだ。『俺たちに明日はない』に演出面で先を越された上でもなお開拓的な革新性に満ちている。それと冒頭の昆虫を殺し合わせる子供達や終盤における少年兵など、子供という存在を暴力性(あるいは終わりゆく者達に対する反動的要素)へとダイレクトに直結させているのが印象深い。

ウィリアム・ホールデンやベン・ジョンソンなど、往年の西部劇に出演した役者を揃えているのも印象深い。その他も強烈な存在感のアーネスト・ボーグナインを始め、ロバート・ライアン、エドモンド・オブライエン、ウォーレン・オーツなど、よくぞここまで揃えたと言いたくなってしまうキャスティングが非常に良い。往年の俳優からニューシネマ期の俳優まで夢の共演である。彼らの泥臭く草臥れた雰囲気は作中でも印象に残り、要所要所で滲ませる“行き場のない老い”が何とも言えぬ哀愁を醸し出す。1910年代という既に西部開拓時代が終わって久しい時代設定も含めて、ならず者達の零落と閉塞は作中で度々示される。キャンプ中の主人公が相棒から将来の展望を聞かれ、それに何も答えられない場面が何とも切ない。

今になって振り返ると些か冗長な構成が目立つ節もあり、粗削りに繋げられたようなシーンも多い。長尺による弊害か、壮絶な銃撃戦などの大胆な場面を除けば少々不格好な要素が目立つ。人物描写に関しても哀愁やユーモアを表現していることは分かるが、単に小汚く粗野なだけに見える場面も少なくない。それだけに主人公達への感情移入も阻害されている印象はある。“最後の西部劇”というジャンルとしても、同じペキンパー監督の『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』の方が優れているとは思う。ペキンパー監督は暴力描写が取り沙汰されやすいけど、根本的にはロマンチストだと感じる。

思うところは多々ある作品ではあるけど、それでもなお終盤の一連のシークエンスは強く印象に残る。「Let's go. 」「Why not. 」というごく簡潔な遣り取りを経て、男達は仲間のために横並びで最後の死地へと向かう。『OK牧場の決斗』を思わせるガンマン達の行進、BGMも相俟って異様な高揚感に満ちている。そこからの大銃撃戦、殺戮のバレエは言わずもがな凄まじい。そしてラスト、一人取り残されたロバート・ライアンが非常に良い。彼がエドモンド・オブライエンの誘いに乗って革命の戦いへと向かったとき、やっと何かから解放されたように見える。本作のテーマ曲とも言える『La golondrina』の醸し出す悲哀が深い余韻を残す。

そんで本作、主演としてペキンパーの友人であるリー・マーヴィンが予定されていたという話が面白い。当人はこれを断ったらしいが、リー・マーヴィン主演の『ワイルドバンチ』も正直めちゃくちゃ見てみたかった。
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