LUXH

カポーティのLUXHのレビュー・感想・評価

カポーティ(2005年製作の映画)
3.2
「ティファニーで朝食を」の小説が映画化もされ、華々しい賞賛を浴びた頃、次に注目されるアイディアを思いついた「ノンフィクション取材小説という新しいジャンルを打ち拓く」という試みが始まるところからのスタート。

最初は犯人なんて眼中に無くて、むしろ怖がる町の人々や被害者に親しかった者達を聞込み調査していたが難航。そのうちに刑事の妻、刑事、お得意の知名度や金にものを言わせる手法で犯人との接触に近づいていく。彼にとって作品の題材でしかなかった対象物だが、あの手この手で犯人の自白心理に気づき泳がせ、取材の為に延命法的措置まで気を回していくうちに癒着を産んでゆく。

言語表現を用いた創作者が、ふと事実を用いた言語表現者になる時。速報新聞記者位しか先駆者を知らず、記事が深くなれば小説サイズになると気付いた時。倫理はあとからついてきて、事実の追及に徹した時。倫理は必要がなく、虚栄を突き進めた先にあるもの。今は確立されつつあるノンフィクション、人間性、ジャーナリズムを少し違った角度から逆再生してくれる作品。

カポーティと演じる役者の運命が似ている様に感じてしまう。20代前半〜中盤位の早期に大衆に注目され、ドラッグと酒に溺れていくという点。若き天才と謳われたカポーティにメディア戦略をするバックアップと、幼少の頃に植え付けられた置き去りにされる恐怖も汲んだ注目されたい精神、逆に異端と思われる事への孤独、作家としての産みの苦しみ、そして芽生える倫理。創作にせよ取材にせよレビューにせよ、いくら客観視しようとしてもやはり自分が映し出される時間はあるもの。

幼い頃は移り住む環境から学校をあまり介さず独学のようなものであったとか。現代に於いて義務教育によるセーブの恩恵を感じつつ、個としての可能性を抑え込んでいるのかなあと鑑みました。正直に言うと観終わった直後は3.0。私にはちょっと早いのかも、難解、思ったより不親切で易しくない、といった感じ。でも周りはどう思ったのか?台頭とは?監督とは?役者とは?先入観とは?考えさせられました。

監督はドキュメンタリーが本筋、役者さんは先に観ていた脳内ニューヨークの様に難しい役所だなという自分の中での現決定位置。置いてけぼり感が作中の朗読会での一般お披露目の観衆の反応と重なる。オリジナルから作品を、役者を、監督を、観衆を通して幾重ものドキュメンタリーになってるのかなと。作品の中身は言うまでもなく不動だけれども消化時間を経てじわじわ変化していくのかな、と。