垂直落下式サミング

エレキの若大将の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

エレキの若大将(1965年製作の映画)
5.0
シリーズ通して加山雄三の若大将っぷりが輝いている。彼が白い歯を見せて笑うと、こっちも嬉しい。「夜空の星」「君といつまでも」など連なる名曲の数々がシリーズ最高傑作たる所以。経済的にも精神的にも元気な日本のアゲ感全快に陽性の音楽劇を盛り上げる。
僕の心の片隅に常にあるのが、高度経済成長期の日本への強い憧れ。バブル期の狂乱やアベノミクスのインチキよりも、経済と精神とが一致した健全なひとの営みの豊かさがそこにあるようで、その理想郷に手を伸ばしてみたくなる。誰もが夢見るのに、どうやって背伸びしても届かない豊かさが、この映画のなかにほぼ完全な状態で保存されているようだ。KTCCが「上がってんの?下がってんの?」なんて聞くまでもないような雰囲気なのである。
でも、そこには「戦後」という絶対的な負が足元に転がっていたことを自覚しなければならない。父親たちはみな軍隊PTSDだし、社会進出する女性たちもまだまだ地位が低い。そんななかにおいても、若者たちは社会に夢や希望を持ちながら、学び、向上し、同時にロックンロールを歌うことができた。多様な個の在り方を受け入れる試しの場としての立体的な社会。好景気を経験していない私の目には、どうしても、こういうのが「本物の豊かさ」にみえてしまう。
僕が若大将を好きなのは、人はやりたいと思ったことをすぐ実行できることが幸せで、誰でもなりたいものになれるし、たとえ失敗してもやり直せるし、その躓きは取り返せると、そういう楽天的な理想が描かれているからだ。毎回、我こそが主人公だと言わんばかりの雰囲気を振り撒く若大将だが、今回ばかりはケンカに停学に勘当にと、しくじり続きで後がない。毎度お馴染み意志薄弱で格好つけたがりの青大将、朴訥な若者として登場するバンドの面々、レコード屋のマドンナ、恋にスポーツに音楽に、夢を追う若者の青春には試練が待ち構える。さらには若大将が原因で実家のすき焼き屋までも銀行から融資を受けられず破産してしまう。シリーズのなかでも最大のピンチが描かれるわけだが、最後には無理矢理とも思えるようなパワーで華麗にすべてのマイナスは清算される。Do the KAYAMA thing!これが若大将のやり方だ。自分に対して気持ちのいい人間になれば、周囲からも愛される人物になれるだろう。こんな時代だからこそ、こんな浮き上がるような自己肯定の物語に耳を貸していくべきだと思う。
さりげなく添えられる仏教的な価値観にも親近感を覚える。新しい世界に飛び入ろうと欲望に忠実な若者と、戦争の巨大な傷痕により夢を断たれ威厳を失いつつある敗北世代の大人たち。その六道輪廻の断絶のなかで唯一、田能久のおばあちゃんだけが解脱している。常にニコニコしているおばあちゃんは、俗世の煩悩から解放された状態で、自分の孫が可愛ければそれで充分だといった様子なのだ。デモクラシーと敗戦と、激動の近現代を受け入れ生きてきた彼女は、庶民が凡夫として生きることの強さを体現するキャラクターなのである。
これを踏まえると、誰もがみんなニッコニコで登場するカーテンコールの意味がわかるはずだ。あれは、このシリーズにおける「彼岸」あるいは「浄土」を描いたものなのである。
加山雄三のキャラクターが永遠の若大将としてアイコン化したのは、ここにおいて「あちら側の世界」に行ってしまったから。永遠の輝きのなかにいるフレッシュマンは爽やかなブッディズムとともにある。