えそじま

ラルジャンのえそじまのレビュー・感想・評価

ラルジャン(1983年製作の映画)
5.0
…なぜ眉毛が繋がっているのか。

思えば偽札どうこうの前に、この眉毛が繋がった少年が本作の悪循環を生む根源たる存在だった。不吉で異様な繋がり。そもそもなぜ眉毛が繋がっていることを異様に感じるのかは分からないが、とにかく少年の眉毛は繋がっている。ブルジョア層の家庭に育ち、その両親も高級品で身を着飾っている。にも関わらず少年の眉毛が繋がっている。自然且つ故意的に、誇らしくさえ思っていそうな佇まい。OPクレジットが終わるやいなや扉を開けて、空間を裂いて姿を現す眉間の結び目。前後に脈絡もない突然の繋がり眉毛。このあまりにも鮮烈なファーストショット。そしてブレッソンの扱う題材、その表現法の根本的な部分も最初から少年の眉毛のようにしっかりと繋がっている。孤独、監獄、犯罪、信仰、不条理、殺戮、金への露骨な嫌悪。長編処女作である『罪の天使たち(1943年)』に始まり、この前作である『たぶん悪魔が(1977年)』までの三十年以上に及ぶ映画人生の中で扱い、培ってきたものを今一度分解し自然にしっかりと繋げている(そう、少年の眉毛のように)。孤独を恐れず、そこに一片の迷いも恥じらいすらもなく威風堂々と。特に"手"による人間性の露われと内的な運動性。「魂は手を愛する」というパスカルの言葉を度々インタビューで引用しているブレッソンは、集大成とも言えるこの遺作で10回…いや20回以上の手のアップを切り取り繋ぎ合わせる(略)。処女作から既に職人の域に達していたその鮮やかな流動は、作品を重ねるごとにある種の自由さ、即興の余地を拡大していき、不幸で陰鬱なストーリーに彼自身の幸福、クリエイターとしての歓びとシネマトグラフの持つあまりにも広大な可能性を暗示する。死さえ訪れなければ制作される筈だったという『創世記』も見たかった。ブレッソンにありったけの敬意を表して。私のような無知な凡人の蔑視や嘲笑を、孤独の闇を跳ね返すあの少年の堂々たる眉間の個性、微弱な左右非対称を紡ぎ神秘的なバランスを齎す荘厳な結び目に、映像と音の繋がりとエクリチュールに想いを馳せて。
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