河

ラルジャンの河のレビュー・感想・評価

ラルジャン(1983年製作の映画)
4.8
責任の所在のない不正の押し付けの連鎖。その責任を認めない、姿勢を変えないことでその不正の結果が大きくなる。そしてその結果は下である人が追うことになる。その上下は上流から下流へのお金の流れ、主従関係、階級の上下に対応する。主人公は自分のものではないその責任を負うことを拒絶する。
不正の押し付けの逆の方向を持つものとして、不正をきっかけとした下から上への復讐があり、小間使いはそれを実践する。しかし、主人公にはその復讐すら許されない。結果、復讐相手の存在しない主人公の復讐の意思は無差別な犯罪への意思となる。
主人公のみが自分の行いの責任を負うという倫理観を持ち合わせており、主人公のみが自分の犯罪を自ら警察に告白する。
不正だけでなく、子供を死んだことを伝える手紙が開封作業の一部として手続き的に映されるなど、背景などを全く汲み取ろうとしない、ある種人間的でない無機質で手続的、制度的な動きとして機械的な手の動きが何度も出てくる。それがクラフトマンシップの象徴のようだった『抵抗』での作業的な手の動きと対比的になっているように感じた。また、無機質的で手続的な心のない人間像としては『湖のランスロ』から共通してあるモチーフのように思う。
その機械的な手続きの連鎖の中で、その最下層におかれた主人公の人間性が変容させられ、その結果として犯罪を犯すようになる。ラストの主人公の自首は、その人間性、倫理観をぎりぎりのところで持ち続けようとしているってことだと感じた。

環境音含めて非常に音がコントロールされた映画で、濱口監督は演技指導の方法だけじゃなく、音の使い方においてもブレッソンの影響を受けているんじゃないかと思った。『ドライブ・マイ・カー』『偶然と想像』の走行音などの環境音と無音の切り替え、その装置としてのドア、外と内の行き来とか。
光の使い方もものすごく良く、ATMにライトの反射が一筋の光のように映る冒頭から、ラストの殺人シーンでの照明によるドアの隙間からドアの先への光の移り変わり、照明が間を置いて壊れて光が消える瞬間など、映像を光が主導しているような瞬間が何度もある。ラストの殺人シーンは今まで見てきた中でもトップレベルですごいショットの連鎖だと思う。
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