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魔女の宅急便のKKMXのレビュー・感想・評価

魔女の宅急便(1989年製作の映画)
4.7
 改めて鑑賞しても清々しい気持ちになる名作でした。思春期映画であり新生活映画でもある本作は、スタートの時の喜びや不安、出会いや壁との向き合いが描かれていて、流石の誠実さでありました。

 今回の再鑑賞で印象に残ったポイントは、オープニングの旅立ちシーンと、キキがスランプになった時のメンター的な存在(姉的存在)である画家ウルスラとの対話でした。


 キキはめちゃくちゃ祝福されて旅立ちます。キキの旅立ちは突然で、彼女の中で何か変化が起きていきなり出立することになります。お父さんは週末にキャンプするつもりでしたが、キキに合わせて旅立ちを祝います。この時キキはちょっぴり退行してお父さんに高い高いをしてもらいます。
 まず、ここが良かった!こうやって甘えられる存在に甘えられたのは大きな支えになると思います。これがベルイマンだったら大変ですよ。キャンプの邪魔をしたイングマールを怒り狂った親父(自分の事しか考えないクズ)が虐待!虐待!虐待!高いところからの突き落としですよ。旅立ちどころじゃありませんからね。キキはベルイ父とは大違いのお父さんとの触れ合いだけで、成功は80%保証されたようなものです。
 旅立ちの時はキキの友だちもエールを送ってくれたりしてホントに幸福!お母さんやお婆ちゃんも見送ってくれて、このシーンを含めるとキキの成功は95%保証されたと言っても過言ではないでしょう!このシーンですでにひと泣き。この直後の『ルージュの伝言』もグッと来ます。


 その後、ドブロブニクっぽい海の見える街のパン屋に下宿し、宅急便を開業するキキ。言葉を話す黒猫ジジのサポートもあり、少しずつ前に進んでいきます。ちょっぴり気になる男子・トンボとの出会いもあり、大きく見れば順調でした。
 しかし、トンボの友だちグループに羨望と嫉妬を感じたり、ニシンのパイ事件で人の心のすれ違いの残酷さや複雑さを感じていくうちにキキはスランプになります。
 このスランプはシンプルな子ども時代が終わり、複雑さを抱えて生きる大人世界への入り口に立ったため、そこに踏み込む準備ができてなかったため生じたものだと思います。スランプって、基本次のフェイズに入る前の準備期間と言えなくもないです。
 ちなみにジジと話せなくなるのも幼年期の終わりって感じでした。たぶん『トトロ』のさつきだったら、このタイミングでトトロが見えなくなると思います。

 スランプをどう乗り越えるか。もちろん自力で超えるのですけど、そのためには誰かの支えが必要になります。支えなしで超えるのはかなり難しく、超えられたら天才と言っていいと思います。
 そして、やっぱりこの時はメンターが強みを発揮しますね!本作だと画家ウルスラです。
 ウルスラはキキよりも一足先に自立した姉的存在です。キキはウルスラと共に過ごし、語り合います。苦しい時に信頼できるウルスラのようなちょっと上の人と一緒に過ごして存在まるごと受け止めてもらう体験こそが、スランプを超えていくエネルギーチャージになると思います。
 この場面で興味深かったのが、『魔女は血で飛ぶ』という話。ウルスラは「絵描きの血、パン職人の血…神さまか誰かがくれた力なんだよね」との語りが印象に残りました。自分に相応しい役割や生き方があり、その血と向かい合うことこそが自分を生きることになるのかな、と思いました。


 もうひとつ、エンディングで新たな発見が。キキは本編のクライマックスでホウキではなくデッキブラシで空を飛ぶのですが、エンディングロールでもデッキブラシを使用しているんですよね。キキが以前使っていたホウキはお母さんのお下がりで、デッキブラシは大人の通過儀礼を乗り越えたキキが自力で獲得したものなんですよ。それがめちゃくちゃ意味あるな!と気付きました。やはり深いなジブリ。


 あと、キキが住み込んでいるパン屋ですが、何度聞いても『グーチョキパン店』という名前にニヤニヤします。可愛くてシュールで素敵な名前だ。オソノさんも素敵ですが、旦那もちょっぴり面白いヤツなんですよね。旦那とジジのちょっとしたやりとりとかホッコリします。
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