つかれぐま

魔女の宅急便のつかれぐまのレビュー・感想・評価

魔女の宅急便(1989年製作の映画)
5.0
22/3/2@調布ULTIRA

<キキは二度旅立つ>

惚れ惚れするほどテンポの良い(そして後への伏線が詰まった)冒頭数分の後にキキは旅立つ。ここからのオープニングの素晴らしさに早速の5億点だ。曲♫が入るタイミング、満月🌕を見上げる構図、キキ🎀の可愛さ、世界🌎の広さ、全てが完璧。私はラジオ📻好きなのだが「その時の気分に合った曲」が偶然流れてきた時のテンションの上がり方の表現として最高だ。

空と海の広さ。
フワフワと飛ぶキキ。
風に震えるジジの耳。
おソノさんの声量。
土砂降りの中のキキ。
ウルスラの絵の持つ力。
キキを見守る群衆。

こんな魅力を、あらためて大画面と音量で体感できて幸せな2時間だった。

さて、本作と言えば「キキが飛べなくなった理由」の考察が定番ネタだけど、むしろ「また飛べるようになった理由」を考えるほうが面白いので、書いてみたい。

そこまでをざっとまとめると、
●コリコの街≒世界が「自分の為にはデザインされていない」ことを悟る:起。●魔法とか礼儀とか石窯とか、親から学んだことでなんとか居場所を作る:承。●成長痛とも言える思春期の心の変化を迎え、飛ぶ力と無邪気さを失う:転。

そして迎えた「結」、
空を飛ぶ「人ならざるモノ」を描いたウルスラの絵🖼が、見た目の世界観に囚われていないことに気づき、ここからキキが「取り柄のない私でも飛んでいいのだ」という自己肯定へと向かう(まさにこれが画力というものか)。「これ、あんたの絵だよ」と言われたキキが「私、こんなに美人じゃない」と咄嗟に答えるが、これがそれまでのキキの気持ちそのもの。老婦人からいただくケーキ🎂でキキの自己肯定感が更に高まる。

トンボ救出シーンで、(よく使いこまれた)お母さんのホウキ🧹ではなく、おじさんから借りた掃除ブラシで飛ぶが、これはキキが初めて自分の力で飛んだことを意味していると思う。喪失の後の獲得だ。(自己肯定感にしっかり支えられた)親の精神的な庇護からの旅立ちーその祝祭感と最後のインタビューシーンの合致。何度見ても素晴らしい。

実は一番好きな邦画アニメ。
まさかイオンで観れるとは。
調布の街よ、ありがとう。

おわり