ハッピーアイスクリーム

16歳の合衆国のハッピーアイスクリームのレビュー・感想・評価

16歳の合衆国(2002年製作の映画)
3.9
知的障害のある恋人の弟を衝動的に殺してしまった少年の複雑な内面と周囲の人間模様を描いたヒューマンドラマ。

僕が初めてライアン・ゴズリングを知ったのは『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』という映画。
サーカス団のバイクパフォーマンスをする男の役で産まれた息子のために銀行強盗を繰り返し、不器用ながらに愛を捧ぐ姿にすごく感動して、今でも忘れられない映画となった。
その映画の中で、教会で不意に涙を流すシーンがあるのですが、そのシーンを観た時から彼の魅力にずっと引き込まれています。

人間の魅力って人それぞれに感じ方があると思いますが、僕はその人がどんなことを考えていているのか知りたいと興味を持たせるのが魅力ってものなのかなと思っています。
ライアン・ゴズリングにはそういった惹きつける魅力をすごく感じていて、特にあのどこかミステリアスで哀しげな目に探究心を駆られる。
寡黙で不器用な役柄が多いけど、その存在感と、瞳の奥にある演技に僕は想像や解釈を膨らませられる。
もっとこの人の作品を観たいと思わせる、役者としてこれ以上ない魅力を僕は彼に感じてます。

そんなライアン・ゴズリングが大人の役者として転身する時期に主演を務めたのがこの『16歳の合衆国』。
16歳ながら達観した考えを持ち、それ故にまだ訪れてもない先の人生に嘆き苦しみ罪を犯す少年を見事に演じていた。
そしてこの作品でも、そのどこか哀しみを宿す目の中に人生に対する諦めや虚しい悟りを感じると同時に、胸を締め付けられるような優しさを感じた。
この頃からすでに今のライアン・ゴズリングの片鱗が見受けられ驚きました。

この映画のテーマは複雑でとても重たいてす。みんなが欲しがる罪を犯した理由。多分十代の頃に観てたらめちゃくちゃ刺さってたと思う。

人間の弱さから起きる過ち。
じゃあ弱さを言い訳にすれば許されるのか?
その過ちや罪を裁く権利を人は本当に持っているのか?

僕は常々思います。
赦しや裁きなんて人が人に対して行って良いものではないと。
そこには必ず人間の感情と呼ばれる身勝手な善と悪が介入するから。
そしてもちろんこの意見も僕の身勝手な自己主張に過ぎない。とても人間らしいと自分自身に対して思い知らされてます。

“人は涙や祈りで人生を無駄にしている”
“もしかしたら 悪は善を確認するためにあるのかも”
“でも信じて 人生は断片の総数より大きい”
“大丈夫だよ 約束する”

生きてくうえで理由が欲しいのは、きっと安心したいからなんだと思います。
でも理由なんていらなくて、彼女が求めたように、責任は持て無くても、ただ優しく言葉をかけてあげるだけで本当は十分なんじゃないかな。