sghryt

アジョシのsghrytのネタバレレビュー・内容・結末

アジョシ(2010年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

元凄腕工作員の無双シリーズ。妊娠中の妻を殺されて暗殺部隊を引退し、生ける屍として暮らすアジョシ(おじさん)がトラブルに巻き込まれた隣人の少女を助け出すために組織ごと壊滅させるストーリー。

ただ、主人公が隣人の少女を助ける必然性はよく分からない。主人公にとって少女は自分になつく多少親しい隣人にすぎない。それ以上でもそれ以下でもない。

ところが、少女がトラブルに巻き込まれて拉致されるや、主人公は敢然と立ち上がり、目の前に立ちはだかる敵を皆殺しにして猛然と少女を追跡する。その姿はまるで飢えた狼が正気を失って獲物を追いかけるかの如くである。

ここで、観客は主人公を応援しつつも若干首を傾げるだろう。「そもそも、どうして主人公は少女のためにそこまでするのか」と。傍から見ていると、そこには十分な動機が欠けている。復讐でもなければ保身でもない。隣人に対する良心はあるかもしれないが、それだけでは説明がつかない。つまり、主人公と少女の関係性に対して、主人公の行動はいかにも過剰なのだ。

これを理解するためには、何らかの補助線を引く必要がある。ここからは推測だが、おそらく主人公は少女に我が子の姿を重ねたのだろう。もし妻が生きていて子供が生まれていたら、これくらい大きくなっていたかもしれないと。

それだから、主人公は自分が救えなかった妻や我が子の代わりに隣人の母子、とりわけ少女を救い出そうとしたのだろう。そうすることによって、自分自身をも救い出そうとしたのだろう。主人公の行動は少女の救出以上に、亡き妻子への贖罪と自己の救済を意味していたのではないか。

さて、本作ではか弱い女性や子供に対して過激な暴力が振るわれる。女子供の身体に刻まれた傷は暴力の影であり、そこから暴力の実体が強調される。韓国映画らしいと言えばそれまでだが、韓国映画がこれほど切実に暴力を描かざるをえない背景に何があるのかは掴みきれていない(韓国の近現代史から説明することは簡単だが、どうもそれだけでは説明がつかないものを予感している)。

「見て見ぬ振りをしてごめん」
sghryt

sghryt