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アメリカン・ジゴロのkyonのレビュー・感想・評価

アメリカン・ジゴロ(1980年製作の映画)
3.5
アルマーニ見参。

『アメリカン・ジゴロ』はアルマーニが映画衣装ではじめて参加した作品で、さらに彼の名前を世界に知らしめた作品。

filmarksだとあまり評価高くないんだね…。

個人的にはすごく観ていて面白かったなー!
80年代にファッション界で、客体としての男性像が登場してきたように、自分の肉体や着こなしを見せるために生きる男たちの世界。

ジゴロ、ヒモや男娼を意味するらしいけど、自分たちを生業にする仕事はいつも両義性を孕む職業ですね。

この作品、ハリウッドで製作されたのもやっぱり面白くて、それまで類型として数えきれないほどの娼婦たちがハリウッド作品には数々あったけど、それをひっくり返したような作品として、また対になる作品として存在してますね。

いつも”仕事”が途切れない売れっ子コール・ガイ、ジゴロのジュリアンがあるとき富豪夫人の殺人の容疑にかけられ、追い詰められていく物語。

ジュリアンを演じるのはリチャード・ギア!
リチャード・ギアのイメージって彼のフィルモグラフィーに引き続き現れているような気もしますが、とにかく冒頭からジュリアンの生活環境がわかるように描かれる。

ベンツを走らせ、颯爽とたどり着くのは高級ブティック、スーツを見繕い、車を再び走らせ向かうのは彼の仕事の依頼人の女性。
ウッド製の室内がモダンな印象を与える中、ジュリアンの仕事は明確には伝えられない。

女性をもてなすこと、が仕事なのはなんとなくわかる。そこで映されるのは、肉体を鍛えあげるジュリアンの姿。あの足につけた筋トレ器具も面白ければ、これでもかと見せるための肉体美を追求する男性の姿も面白い。

下着1枚で部屋をうろつくジュリアン、この時代のファッション広告のモデルを思い出す。

80年代は筋肉を持つ男たちが前線に来た時代だとも言えるけど、ジュリアンの場合はまさに自分の身体美や服装などにかなり意識的な男性タイプで、このタイプっていそうでいなかったような…。

目的がお金のために自分の肉体を引き換えにすることだから、やっぱりそこは映画の娼婦たちと同じく、彼が求めるのはお金以外のもの、もっと端的にいえば”精神的な愛”でもある。

そこで出会うのは、政治家の妻のミシェル。はじめはジュリアンの勘違いから始まった2人だけど、スウェーデン語から教養までバッチリなのにいざ近づくと「僕と君は住む世界が違う」と距離を置く彼に惹かれていくミシェル。不倫でもあるけれど、次第にミシェルには自分を曝け出せるジュリアン。肉体関係はあるけれど、最後に辿り着いたのは自分の精神を安寧に導く存在としてのミシェルだったね。

ただそこまでいくのに、徐々に追い詰められていくジュリアンの姿がまたサスペンス的で。
自分は無罪なのにアリバイがない、しかも一緒に過ごした顧客の女性は自分の面子を守るために証言しない。殺人に関連する証拠が自分の知らないうちにどんどん見つかり、ますます逃れられなくなる。どんどん身のこなしはボロボロになり、高級レストランではその服装では、と注意される始末。冒頭のジュリアンならありえない事態。それくらい彼が精神的にも肉体的にも追い詰められている様子が服装によっても伝えられる。

ジュリアンが着ていたアルマーニの衣装はことごとく彼をキザで器用な、紳士的な男性に仕立てあげていて、中でもやっぱりあのクローゼットで自ら服を選ぶシーンは印象深かったな。

映画であとに出でくるけどジュリアンを育てた依頼人の女性の姿はどこをとっても娼婦界と同じで、そんな彼が最後に精神的な愛を見つけたことは救いになるのかな。

このリチャード・ギアのイメージがアルマーニのブランドの求める男性像に重なって、数あるブランドスーツの中からアルマーニを選ぶようになるのはわかる。だってあのリチャード・ギアみたいな女性に優しく、対同性には余裕をもって振る舞える男性像って今のちょい悪親父に近いイメージがある。

アルマーニだって自分のブランドのため、そして愛する映画のために戦略的に衣装を制作したはず、そのアルマーニとリチャード・ギア、そして映画イメージが重なった作品として重要ではないでしょうか!