Yukiko

エディット・ピアフ愛の讃歌のYukikoのレビュー・感想・評価

4.4
2019年11月24日
『エディット・ピアフ 愛の賛歌』
          2007年フランス・イギリス・チェコ制作
監督、オリヴィエ・ダアン。

売春宿で育ち、街角でスカウトされて歌手として一時代を
築くも,愛に恵まれなかったピアフ(マリオン・
コティヤール)の一生を、幾つかのエピソードを交えなが
ら描いた映画。

1915年、パリ20区に生まれる。母はイタリア系の
アーティスト(歌手)、父はアルジェリア人の大道芸人。
母17歳の時にエディットを出産。
貧しくて育てられず、母方の祖母に預けられる。
父から引き取られ、父方のノルマンディーにいる祖母に
預けられる。
が、預けられ先は売春宿。
3歳から7歳まで、角膜炎で目が見えなかった。
1929年、父に連れられ大道芸人となる。
1930年、一人でストリートシンガーとなる。
16歳の時、ご用聞きの少年と恋をし、女の子を産む。
マルセルと名付けるが2歳で死ぬ。
1935年、ナイトクラブのオーナー、ルイ・ルプレーに
見出される。
エディットの身長は142cmだった為、「小さいスズメ」と
名付けられる。
1936年、最初のレコードを録音。
が、ルイ・ルプレーこの年に殺害される。
1940年頃~戦時中、エディットは作詞を手掛け、作曲家達
と交流。レジスタンス運動へ貢献。
1945年~、海外での公演活動。
1949年、エディットの恋愛相手、プロボクサーのマルセル・
セルダンが飛行機事故で亡くなる。
1951年、エディットは自動車事故に遭う。モルヒネ中毒に
なる。
1952年、歌手のジャック・パルと結婚。
1956年、離婚。
1962年、美容師から歌手、俳優になったテオファニス・
ランボウカス(通称テオ・サラポ)と結婚。20歳年下。
1963年、ピアフは最後の曲「ベルリンの男 」を録音。
オリンピア劇場でコンサート。倒れる。
この年、10月、癌で亡くなる。47歳。
夫のサラポは妻エディットの死後、妻の残した多額の借金を
一人ですべて返済した。
(Wikipediaより抜粋)


「愛の賛歌」の歌は聴いたことはあっても、日本の歌手の
歌声で。
エディット・ピアフさんのことは名前だけで、生涯のことは
まるで知らず、この映画に興味を持って、今回、
祝!Filmarksレビュー1000回に相応しい映画として選び、
この映画を鑑賞しました。

なんと言っても、この映画、マリオン・コティヤールさんが
演技賞もの!!
第80回アカデミー賞の主演女優賞を獲得しています。
そりゃそうだろうなぁ、エディット・ピアフさんそのもの!
(と言ってもご本人を知らないけれど)

マルセルがチャンピオンになった夜の帰宅時、廊下には
本妻が演出したと思われるバラの花が散らばり、その上を
マルセルとエディットが歩き、陰に隠れた本妻は!?

47歳でお亡くなりになったようですが、映画では全く年寄り
の印象。
病気療養だからか、リウマチも患っていた。

16歳で産んだ女児がマルセル、生涯愛したボクサーも
マルセル、偶然でしょうか。
Yukiko

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