垂直落下式サミング

白鯨の垂直落下式サミングのレビュー・感想・評価

白鯨(1956年製作の映画)
3.7
ジョン・ヒューストン。輝かしい名作をいくつも世に送り出した偉大な映画監督だが、『アニー』のようななんとも言いがたいものを作ったり、変なエロ映画にチョイ役で出たりと、よく分からない人である。
アメリカハリウッドによる有名文学『白鯨』の実写化。人間は神からもっとも愛された生物なのだから、人には自然のすべてを淘汰し消費する権利があるのだとする欧米人の考え方(雑な理解で申し訳ない)に、ある種のカウンターというかたちで抗ってみせたと思われるメルヴィルの小説。それも、原作のひとつの解釈に過ぎないが、そういった悲壮の上に、マッチョとタフネスを乗っけていくのがハリウッド流の味付けだ。元祖ドカモリ系アドベンチャー。
誰もが知る文芸作品を下地に、主演の有名役者は華々しい活躍をみせて、当時としては特撮もふんだんに取り入れてみせた。大衆娯楽作としての側面がある一方で、本作はわりかし真面目に原作のゾクゾクするような狂った雰囲気に肉薄しようと作っているから面白い。何かにとりつかれた男の物語。役にはまってんのかよく分からないグレゴリー・ペックのエーハブ船長。神の使いの白鯨にブチキレる。
万物の霊長たる人間は、ほかの生命を消費することで、ようやく生きることを実感できる。つまるところ、文明のぬるま湯のなかで生きるうちにDNAから抜け落ちてしまった「野性」を、ふたたび自身の内部に取り込みたいのだ。片足はその時もっていかれた自分自身。抗いようのない神性を目の当たりにしたものは、肉体と精神とを吊り合わせる不可分のバランスが崩れ、戦いを求めずにいられなくなってしまう。怪物と力の交換をし、打ち勝ち狩ることで、その海の一部となってしまった半身を今一度我がもとに取り戻そうとするのだ。
主は与え、主は取りたもう。これに続く言葉を実践するには、現在の我々はあれもこれも両手いっぱいに持ちすぎている。所有するものを差し出しすべてを取り去られてなおも最後に残る信仰の尊さなど、自意識に比べればとるに足らない。神など不幸街道の途中に捨て置いてしまおう。肥大する我、ひとつでも取り上げられようもんなら天に向けて中指おっ起てる。それが近代というやつだ。アイデンティティーという病。ゆえに、人は大きな傷を受けた場所にこそ執着し、そこにもっとも重要な生命の価値を見出だしていくのである。