keith中村

七小福のkeith中村のレビュー・感想・評価

七小福(1988年製作の映画)
5.0
 私の持論は、「映画は予備知識を持たずに観るのがいちばんいい」なんだけれど、中にはそうとも言い切れないものもあって、本作もそう。

 本作は、サモ・ハン・キンポーとジャッキー・チェンとユン・ピョウが少年時代を共に過ごした中国戯劇学院(劇中では「中国京劇学校」)の物語。
 数年に亙るストーリーなので、子役が前半と後半で入れ替わるんだけれど、でまあ、そういった場合に、観客に「時間が流れて顔が変わりましたけれど、みなさん、この子が後半で成長した姿ですから、そこんとこ、ひとつよろしく!」という演出が入るのが、この手の物語のお約束で、そこは規定演技のように工夫が凝らされるところなんだが、本作のそれもよかったですね。
 特に後半のサモとジャッキーがかなり本人に似てた。
 
 何より、先生を演ずるのがサモ・ハンだというのが本作の最大の仕掛けであり、感動ポイント。
 最近の「イップマン2」や「おじいちゃんはデブゴン」での渋いサモ・ハンは超絶に恰好いいんだけれど、1988年時点でも実はこんなに渋い役者だったんだと、再認識。
 
 ほんとうの京劇学校は、本作で描かれる以上に厳しいところだったようだけれど、本作の序盤も十分に厳しくって怖い。
 そこから、師弟が打ち解けていく展開は、関係性や状況が厳しければ厳しいほど感動的になるもんだけれど、本作は同じ実話ベースでいうと大傑作「ヒトラーの忘れもの」にも負けないものだと思いました。
 
 というか、80年代の香港でここまで稠密で精緻なストーリーの映画が作られていることが驚嘆に値する。
 いちばん心に残ったのは、ダンス本のくだり。
 眼鏡くんがくれるというダンスのハウツー本を、ジャッキーは固辞し続けるのですよ。
 あれ、何の説明もないし、固辞する意味はいくつかあるんだろうけれど、とりわけ大きなのは「もらってもどうせ字が読めない」ってことなんですよね。
 
 実際のジャッキーは、この映画に描かれた時代、ガールフレンドから別れの手紙をもらい(この映画のあの娘かしらね?)、それが読めずに悔しくて泣いたことがあるらしいんです。
  
 逆に、サモ・ハンが必死に探してきた誕生日ケーキのエピソードで、「喜寿の祝いのケーキがキャンセルされた理由」は、説明なくっても想像できるから笑えるんだけれど、ここはコッテコテに説明してさらなる笑いに持っていってましたね。
 
 観る前はここまで思い入れちゃう作品とは思わなかった。
 もう、まとまらないので、思いつくまま列挙します。
 
 サモ・ハンがサモ・ハン役の少年を打ち打擲するシーン。
 実際にもそういうことはあったはずだから、このシーンを演ずるサモ・ハンの気持ちを想像すると、胸がえぐられました。
 
 甲本雅裕似の義弟には、第三幕で大きな見せ場がある。
 いっちゃえば、まんま「サンセット大通り」なんだけれど、ここも号泣ポイントでした。
 
 亀もよかった。
 ただのお笑いギミックかと思ってたら、最終的に物語の構造とリンクする象徴性をもたらす。
 7年間束縛されていた亀はそれでも餌を与えられて着実に生存している。
 解放された亀は、出口に向かって進んでいくんだけれど、その先にあるのが気ままな自由であるはずはなく。
 このシーケンスがストップモーションで終わるというところがとても見事でした。
 
 エンディングにかけての「ほろびゆく京劇」から「新興産業としての映画」へ「繋ぐ」流れも素晴らしかった。
 あ、いちおう断っておくと、世界的にはこの時代あたりから映画はずっと斜陽産業と呼ばれ続けることになるんだけれど、香港ではショウ・ブラザーズ(実は本作もショウ・ブラザーズ作品)の興隆から、ゴールデン・ハーベストへと文字通り黄金時代に差し掛かっていたわけです。
 
 ちなみに、戦後の香港映画には、日本の満州映画協会が大きな役割を担っている。
 「ラストエンペラー」で坂本龍一が演じた甘粕大尉が理事をやってた、国策映画のプロダクションね。
 ここは、当時世界最高レベルの機材を揃えていた。
 戦後それらが香港へ流れて、これを使って作られ始めたのが戦後香港映画というわけです。
 関係ないけど、本作では日本軍によって銃殺されるシーンのエキストラに3人が出演するシーンがありましたね。
 
 ラストシーンで、先生の「何年続ける?」に、先生を真似て「40年」と答える生徒たち。
 ここ、今観ると、ぐっと来ますね。だって、40年どころか、もう50年以上はやってるでしょ、このみなさん。
 
 最後の最後にリフレインされる京劇の台詞(「覇王別姫」?)も、物語とリンクしていて見事でした。