カツマ

ペパーミント・キャンディーのカツマのレビュー・感想・評価

4.2
幸せになれるはずだった。錆びついた車輪、燻んだ景色。もうボロボロになった人生を見つめても、残されたのは虚無のような未来だけ。悲しみは降り積もり、愛する人から逃げ続け、時代の荒波に呑まれに呑まれ、どんなに無様に叫んでも、『戻りたい!』の一言は記憶の底へと沈んでいった。そこは戻れないはずの時、駆け巡る走馬灯のような日々。

『バーニング』や『オアシス』など不幸で鈍重な映画を撮る監督として知られる韓国の名匠、イ・チャンドン。彼の最初の代表作と呼べるのがこの作品であり、世界各国の映画祭で好評を博すなど、彼の名を一躍轟かせた記念碑的な一本である。時系列が巻き戻っていく斬新な展開を持ち、20年の時の流れを生きる主人公をソル・ギョングが一人で演じている。堕落した男がもう一度振り返りたかった過去とはどんなに美しい人生だったのか。口の中のペパーミントキャンディーが、想い出の端っこでサラサラと溶け出していく。

〜あらすじ〜

1999年春、鉄橋下の川辺にて、とある同窓生たちによるピクニックが催されていた。そこに突如として乱入した男が一人。彼の名はキム・ヨンホ。似合わないグレイのスーツを着て、メチャメチャに踊り狂い、泣きながら歌い、ついには鉄橋によじ登って、迫り来る電車に向かって『戻りたい!!』と叫びながら自殺した。
時間は巻き戻り、その3日前。ヨンホは見知らぬ二人組から拳銃を手に入れ、自分を破滅させた元共同経営者に向かって発砲したり、別れた妻に邪険にされたりと、堕落した生活を送っていた。そしてその日の夜、全てを失いビニールハウスに住む彼を訪ねた人物がいた。その男は自分の妻が死の間際にヨンホに会いたい、と言っていることを伝える。男の妻はかつてヨンホが愛した人で、初恋の相手だった・・。

〜見どころと感想〜

人生はこんなにも悲痛で悲惨で上手くいかないものなのか。どん底からスタートし、ヨンホの人生が徐々に狂っていく様を殺伐としたシーンの底から眺めるような画が続く。7章のエピソード仕立てになっていて、それぞれの時期に起こったヨンホの人生の転機(その全てで選択を間違え、彼を堕落させる)と、韓国という国で起こった様々な事件を併記しながら物語は進む。

特に1980年のエピソードは『タクシー運転手』でも描かれた光州事件を兵士側から描いていたりと、自国の闇へとスポットライトを当てている。時代の闇に呑み込まれ、翻弄され、最後には死を選ぶしかなくなったヨンホという男の末路はひたすらに不運であり、そして時代の流れに抗うための勇気と強さも持ち合わせてはいなかった。

時には情けなく、時には憎らしく、そして時には美しく主人公を演じ続けたソル・ギョングの熱演抜きに本作を語ることは出来ない。彼はいまや映画の出演本数が30本を越すほどの名優だが、この頃からそのキャラクターの幅広さは確立されていて、どんな役柄でもモノにしてしまう。特に警察官を演じたパートの拷問シーンでは、かつて写真が趣味だった男とは思えないほどの凶悪さを滲ませている。

彼の人生は後悔の連続。戻りたいと思える過去に遡るには20年もの月日を要した。戻れば戻るほど、どうしようもなくラストカットは悲しくなる。しかし、不思議なことに彼の魂が眠りにつくかのような静かなる余韻を感じることもできるのだ。ペパーミントキャンディーはそんな彼の堕落を見つめ、寂しそうに転がっていた。

〜あとがき〜

近作では『バーニング』も素晴らしかったイ・チャンドン監督の出世作として名高い一本ですね。見終わった直後より、レビューを書き終わった今の方がじんわりとした余韻とチクリとした痛みが同時に襲ってくるようです。

決して大仰な話ではないはずなのに、次第にどうにも胸に刺さって抜けない棘のような、甘くも苦くもないキャンディーをずっと舐めているような、そんな味をずっと喉の奥へと流し込み、今のはどんな味だったんだろうと反芻するような作品でした。
カツマ

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