菩薩

ソイレント・グリーンの菩薩のレビュー・感想・評価

ソイレント・グリーン(1973年製作の映画)
3.7
日本は着実に『AKIRA』の世界へと歩みを進めており、東京は来年から「ネオ東京」へと呼称を変えそうな現実が忍び寄っているわけだが、その先の2022年にはまたこの『ソイレント・グリーン』の世界へと変貌する可能性が無きにしもあらずと言う恐ろしい局面を迎えている。「ゼノギアス」の中に出てくる「ソイレント・システム」の元ネタとしてお馴染みの映画であるが、フェイとエリィがモグモグとその缶詰を食する横で、自らはその原料が何かと言うことを把握している為「いいえ。私は遠慮しておきます。」と頑なに拒否し、いざその原料が何かと言う事が判明した際には、どうしてそんな事態に至ったかを至極丁寧に解説をしてみせる鬼畜眼鏡ことシタン先生のレンズの奥は確実に笑っていないニヒルな笑顔を思い出さずにはいられない。藤子・F・不二雄の「定年退職」においては「定員法」の名の下に、今絶賛炎上中の「生産性」無き高齢者は社会福祉の一切を打ち切られていくわけだが、産めよ増やせの戦中の危険思想が未だ蔓延するこの狭く食料自給率も低い日本という国は、いい加減人口を減らす事を真剣に考える時期に入っているのではないか、いつまで見せかけの平均寿命ばかりを誇示し続けるつもりなのか。「わしらの席は、もうどこにも無いのさ」と笑みを浮かべながら夕日が沈む階段を登る二人の老人、放っておいても不寛容な現代社会においては人口など勝手に減少していくだろうが、人間と言えども所詮は哺乳類、霊長類ヒト科の一種である動物であり、食うか食われるかの弱肉強食の原理からは逃れる事が出来ない。だとしたら真っ先に標的になるのはどの層なのか、安楽死の制度を確立すればどれだけの数の人間がそこに救いを求めるか、そんなディストピア社会の足音が確実に近づいて来ている現実から目を背けるべきではないし、職務遂行の傍らパツキンの姉ちゃんと突然イチャコラを始めるソーンこそが真っ先にソイレントグリーンの原料にされるべきだと思う。
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