Nasagi

麦秋のNasagiのレビュー・感想・評価

麦秋(1951年製作の映画)
4.8
大学の美学講義で鑑賞。
上映時間まで含めると軽く6時間以上は解説してもらったので、自分から付け加えることなどあまりないのだけれど。

1つの映画を、これだけの時間をかけてワンシーンずつ解説されながら見るという経験が初めてだったので(しかも先生から矢のように質問が飛んでくるので常に頭はフル回転)、それも含めて最高に楽しかった。ちょっとM気質なのかもしれない。
ただ、実際それぐらいの時間をかけて見ないと、自分には理解できないくらいの鬼脚本。べつに専門的な前提知識がいるとかではなく、あくまで常識にしたがって考えればわかる(ほんまかいな)のだけど、いかんせん説明が少ないわりに情報量がクソ多いため、油断すると一瞬で置いてかれる。劇中のほとんどの時間は仮面をかぶっている主人公紀子から、なんとかして本音を導き出す作業はまじで骨が折れた。

しかし、それだけに最後まで見たときの重みは格別。本当にきれいな映画で、画面上に汚いものやドロドロしたものは一切でてこないけど、そこにはたしかに他人との越えられない溝があって、悲劇がある。「エチケット」は本当に他人を気づかってするものなら良いが、義務として形骸化したとたん、息苦しさと言い訳ばかりを生み出す、体制の道具になってしまう。(ここらへんほぼ受け売り)

個人的には間宮家のお父さんお母さんコンビがすごく好き。心の中ではすごく寂しいのに、老人として自分の立場をわきまえて、現状に満足するよう自分に言い聞かせるお父さんと、
家族に幸せになってほしい、あるいは自分が幸せになりたいという思いを捨てきれないお母さん。
この優しい2人も結局、「善意」を免罪符に紀子に対して大きなプレッシャーを与えてしまうため、悪者ではないにしろ罪深い人たちなのだが。
それでも自分は、空を飛んでいく風船を見てとっさに「どこかで泣いてる子がいるね」と思いやることができるこの2人の優しさは本物だと思うし、だからこそ最後の展開が辛くてしょうがない。

家庭と結びついた幸せ観は今どき古いと言われそうだし実際そうだと思うが、かといってリクルートのCMみたいな自己実現神話で、だれもが幸せになれるわけではないだろう。
映画では、自分の意志と、男社会の価値観との間でもがく紀子は、最後まで幸せになれないし、自分の決断に自信を持とうとしても、それすら否定される。
安易な成長と決断のストーリーを描くのではなく、八方塞がりの登場人物それぞれの孤独を丹念に描くことに徹している。
このように、安易な解決法を提示するのでなく現実を写す鏡としてこの作品を考えるなら、これ以上ない完成度の傑作だと思う。
Nasagi

Nasagi