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國民の創生のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

國民の創生(1915年製作の映画)
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悪名高き作品のレビューの前に、
日本人が初めて出会う黒人は誰でそれはいつだろうか。
直接黒人に身近で会ったこと、話したことはレアなんじゃないかと思う。テレビやスクリーンを通して知る遠い人なのでは。
外国人をステレオタイプに見てしまう理由はメディアの影響が大きいと思う。

BLMの活動の説明を某テレビ番組がした際に動画の黒人のイラストが偏った見方を助長すると非難された。描かれた黒人はマッチョでタンクトップでひげで攻撃的、デモではなく暴徒化していた。当のアメリカでは絶対にあり得ない表現だと指摘された。

悪名高き『國民の創生』はまさにそのイメージを植え付けた原型のようなもので、それから100年経っても、現代の日本の公共番組で同じ表現をしている。馴染みのないことには偏った見方をしがちになる。

この映画は公開当時、人種差別だと非難が殺到した一方、189分という尺にも拘わらず人気も高かった。

率直に書くと、2部に分かれた前半1部の南北戦争からリンカーンの暗殺までは、サイレントなのに迫力、動き、臨場感、人物の感情表現のどれも素晴らしくおもしろかった。あからさまな人種差別はなかったような。南部と北部の親しい2つの家族間の姉妹兄弟の恋物語と南北戦争の悲劇を史実に沿って描き、実在した人物をモデルにしていて、タイトルどおりの作品だった。


問題は後半の2部で、黒人が選挙権を行使した結果、黒人の国が出来上がり、白人を支配し暴力を振るう全くのフィクションになっている。狡く愚かで暴力的に黒人像を描いている。白人女性に求婚するが逃げられ、女性を追いかけ女性は崖から自殺。暴徒化する黒人をリンチするのがKKKで、ヒーローとされる。茶番劇もいいところ。差別表現に限らず、ストーリー展開が極端で1部と違うテンポだった。

南部の黒人は謙虚で白人に仕えることを知っているとされ、非難の対象にならないが、暴徒化するのは北部からきた黒人で、それを扇動するのが北部の白人。幼い時に南北戦争で父親を失った南部出身のグリフィン監督の目線だった。その後、グリフィン監督は差別的な偏った見方を改め、贖罪として愛と寛容を描いた作品に取り組んだと言われている。

だからといって、本作の影響が消えるわけではない。差別抜きにすれば、サイレント初の長編作品でよく出来ている。だから影響力が大きい。面白ければその通りだと思いたくなる。たとえフィクションであっても。見たことのない北部の黒人が攻めてくるかもしれない、怖い、と恐怖を煽った作品だった。

実際に黒人が選挙権を得たのが1965年、異人種間の結婚が合法になるのは1967年、この映画が公開されてから半世紀、50年が経つ。憲法13条で奴隷制度廃止からは100年が必要だった。

小学生3年の頃から、家に頻繁にアメリカ人がみえた。白人はスペイン人の大きな神父様を知っていたけれど、初めての黒人だった。真っ黒でびっくりした。手を触らせてもらった。今考えると失礼だが、ただ異なる人に会った感動からだった。それは素敵な出会いだった。物腰が柔らかくハンサムで上品で笑顔で何より子供が好き。すごくカッコよかった。いつもスーツを着ていた。他の白人のアメリカ人はラフな格好なのに。黒人だからこそだったんだと思う。祖母もMさんがみえるとニコニコして挨拶していた。我が家の人気者だった。

黒人が差別されているのを知ったのは『アンクルトムの小屋』を読んでから。ショッキングだった。アメリカの黒人は奴隷の歴史を背負っていることを知り悲しくてたまらなかった。あんなに素敵なMさんが差別されるわけはないと思ったし、アンクルトムは昔の人だったから、黒人という肌の色一くくりで差別されるのが不思議だった。


偏った差別的な見方はさまざまなところで知らず知らず助長されていると思う。
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