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國民の創生のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

國民の創生(1915年製作の映画)
2.5
[映画史上に残り続ける莫大な正の遺産と負の遺産] 50点

思考実験をしよう。"歴史も自分の肌の色も知らない"人間を用意して鑑賞させた場合、本作品を高評価するか。答えは否だろう。それほどまでに本作品の黒人は"理由のない悪意"に満ち溢れた描かれ方をしている。フローラの挿話なんか"気持ち悪い見知らぬ人"に求婚されたらそりゃ断るのが普通だけど、やっぱり製作する上で相手は自由に選べたのにそれをわざわざ黒人にすることが問題だ。グリフィスは原作「クランズマン」の人種差別的な部分は考えてみたこともなかったらしいが、当時のアメリカには彼のような無意識的な白人優位主義者が沢山いたんだろうし、それは今でも変わっていない。

撮影が始まった1913年はゲティスバーグの戦いから50年を記念してインスなどが南北戦争の映画を撮っていた。つまり、我々が東京オリンピックを懐かしむ感覚で本作品は製作されたのだ。リンカーン暗殺時に居合わせた人が生きていたかもしれない時代だ。そういうとこにはロマンを感じてしまう。

だが、本作品を差別映画として屑籠に捨てることが出来ないのがイタイところ。グリフィスが天才だったことは明白であり、彼が編み出した映像技法は列挙に暇がない。彼の作り出した"映画の文法"は現代でも普通に使われており、その点において本作品を"古臭いサイレント映画"とは呼べないだろう。

結局、映像は凄いが物語はゴミという"ありきたり"な文句で占めざるを得ず、それが世界中の映画史研究家及びシネフィルたちを悩ませ続けているのだ。
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