Mayuzumi

愛よ人類と共にあれ 前篇 日本篇のMayuzumiのレビュー・感想・評価

4.1
 私が本作を愛してやまない理由のひとつは、岡田時彦が出演している数少ない現存作のひとつだからである(私の知る限り彼の作品は、断片を含め、七本しか現存していない。すべてサイレントである)。
 そもそも無声映画に傾倒しはじめたきっかけというのが、小津安二郎の初期作品『淑女と髯』(1931)のスチール写真に写った岡田時彦のベラ・ルゴシ的な容貌が醸し出す、その高貴な血の匂いに魅せられたためだった。その名前もどことなく怪奇染みたものを私に抱かせたが、後に、名付け親が谷崎潤一郎であると知ってなるほどと膝を打ったものだ。
 実際には、時彦はまったく血や怪奇とは無縁の、松竹モダニズムの都会的なビルディングや小市民のお座敷なんかに登場する、ごくごく身近の青年俳優ではあったが、しかしそれは表面上の役柄の問題に過ぎなかったように私には思われる。彼のその気品あふれるマスクはそこからはるか数百万光年もはなれた地下牢で名も知れず果てた高貴の末裔をおもわせ、その人を寄せ付けない詩人の眼差しは、貴族の血で模られた精巧な短剣であるらしかった。その貴族的な容貌と小市民的なサラリーマン生活とのスクリーン上における奇妙な同居は、人々に実生活への儚い夢を抱かせたに違いない。うつくしさとはかけはなれた自分たちの生活が、スクリーンの上で、一人の美男俳優によって演じられる瞞着は、瞞着故に陶酔に似た幻覚を観客に齎した筈である。自分たちは決してこうはなれないという虚しい諦めは煙草のけむりのようにとぐろを巻いて、しかしそのけむりによってのみ、銀幕の人々はかろうじてスクリーン上で生き永らえる。我々が銀幕のスターに幻惑される理由があるとすれば、それは映画そのものの持つ、現実とフィクションとの葛藤から生じる二重性のダイナミスムによるものだ、と言えるかも知れない。時彦の演じる小市民に不思議と生々しさがあったのは、その美貌に反して、宿疾の肺結核から死ぬまで自由になれなかった己の実生活における敗残が(時彦は結核により1934年に満三十歳で他界している)、知らず知らずにスクリーンに落とした歌謡レコードの針のかなしみのためであった。そこに当時の観客たちは、自分たちと同じ小市民の匂いを嗅ぎとったのではないだろうか。思い返せば、私がスクリーンで出会った小市民の時彦は、いつも、夢にやぶれすべてを諦めたもののように肩を落とし、しかしスクリーン越しに私たちを見つめる眼差しだけは、どこまでもやさしかったのである。

 ところで、時彦扮する長男・山口修の父親を演じるのがハリウッド帰りの怪優・上山草人である。草人の父・鋼吉と、鈴木傳明の次男・雄との葛藤がこの映画の見所のひとつとなっている。事業拡大に勤しむあまり、家族のことを顧みる暇のない不器用な父と、前妻の落とし子である反抗的な次男坊との葛藤のドラマである。
 傳明は相変わらずの感傷的な泣きべそ芝居で、豪胆さと繊細さの絶妙なバランス感覚でもって、戦前の都会の若者を好演している。
 彼はいつも名台詞を残すことで有名なのである。今回も妹(龍田静枝)の披露宴に、仕事着であるボーイ服のまま出席しようとしたところを、義姉(吉川満子)に服をモーニングに変えるように言われて逆上し(雄の一家は上流階級であり、当時、ボーイ等の給士職は下級の者のすることだという認識があった)、普段の自分の姿で出席することに意味があるのだと声高に主張するのであった。そうしていつしか話の矛先が死んだ母に移った際、彼は義姉に、
「ぼくはボーイ服を着て母さんの魂に殉じ、
義姉さんたちは母さんの魂を踏み台にして披露宴に出席するんですね」
 と、言ってのけるのであった。純真無垢故の、ナチュラルなブラック・ユーモアが胸を打つ。彼からはしばしば、昭和初期の尾崎豊といった印象を受けるのである。
 ところで、義兄の時彦はそんなOZAKIな弟とは違い、近代主義の権化のような人物として登場する。父の事業が倒産寸前に追い込まれ、息子の時彦のもとへ、後生の頼みとばかりに恥を捨て金の工面に馳せ参じた際にも顔色一つ変えず、まあこれからは地道な商売でもするんですね、などと皮肉をならべて追い返すのであった。ガウンを羽織って椅子に座り、新聞片手にパイプを燻らせる(なおかつ髯!)という、如何にもすぎるファッションではあったが、その貴族的な風貌がこれら昭和初期を彷彿とさせる、モダンな煉瓦の壁や煙草盆や洋服の釦などの小道具に拍車をかけて、まるで少女漫画のようなロマンの香りを醸成していた。
 これがこの映画に於いて、岡田時彦が銀幕に映る最後のシーンである。
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