カタパルトスープレックス

ディア・ドクターのカタパルトスープレックスのレビュー・感想・評価

ディア・ドクター(2009年製作の映画)
2.4
西川美和監督の長編三作目。テーマは嘘と罪。

これまでの作品でも西川美和監督は真実と嘘との境界線を描いてきました。

『蛇イチゴ』では嘘ばかりの兄と生真面目な妹の間の「蛇イチゴ」ですし、『ゆれる』では兄と弟の絆です。今回は「人を助ける」なんでしょうね。この作品は2009年公開ですが、その後の2016年にDeNAが運営するWELQによる医療情報の問題が発生します。そして、フェイクニュースが大きな問題になり、現在に至ります。ボクたちの学びは「人の命に関わる医療」に嘘は明確にNOです。そこに曖昧さが残る余地はありません。だから、今回のテーマを「医療」における真実と嘘と観てしまうと、かなり違和感があるのは否めません。しかし、西川美和監督はこれまでも別の形で真実と嘘との境界線を描いてきたので、医療に特定したわけではないのだと思います。

では、作品としてはどうか。うーん、まだ三作目なのでなんとも言えませんが、(ボクの個人的かつ主観的な意見では)西川美和監督はアタリとハズレの差が大きいと思います。第一作目の『蛇イチゴ』はややハズレ、二作目の『ゆれる』は大アタリ、そして第三作目の『ディア・ドクター』はややハズレです。

『ゆれる』でみせた演出のキレがないんですよね。今回も印象的なマッチカットもありましたが、前作『ゆれる』ほどの効果はありませんでした。前作はマグロの頭で今回はコガネムシでしたね。他にもいくつかありました。ただ、普通のマッチカットなんですよね。

今回の主要人物は医師の笑福亭鶴瓶、インターンの瑛太、患者の八千草薫です。笑福亭鶴瓶を中心とした、この三人の関係がうまく描きキレていない。それは笑福亭鶴瓶の存在と不在の間にはっきりとした変化がないからなんでしょうね。前半が「存在」で後半が「不在」のようにくっきりとした境界線があればわかりやすかったのかもしれません。しかし、西川美和監督は境界線をはっきりと作らずに、現在と過去のイベントをミックスすることを選びました。そうすることで人物像が浮かび上がってくればいいのですが、それほどの効果は得られなかったように思います。

音楽は引き続きカリフラワーズ改めモアリズムです。なんか、もうパターンですよね。モアリズムのアップテンポな音楽ではじまるの。『蛇イチゴ』の宮迫博之はまだいいです。そういう役柄ですから。でも、『ゆれる』のオダギリジョーと本作『ディア・ドクター』の瑛太の登場はあれでよかったのかなと。オダギリジョーと瑛太の登場が軽すぎるんですよ。イベントを挟んでシリアスな面が見えてくる演出なんだと思います。変化を強調したい。ただ、今回の瑛太の場合はその変化の動機がよくわからない。

西川美和監督はセンスがすごくいいんですよね。音楽のセンスもいいし、服装のセンスもいい。ただ、センスの良さが活かしきれてないと思うんです。