フラハティ

わらの犬のフラハティのレビュー・感想・評価

わらの犬(1971年製作の映画)
3.3
知性は暴力を越えるのか。


西部劇の印象が強いサム・ペキンパーが描く、現代における暴力の蔓延。
人類が潜在的に備えている暴力性に、人類が築き上げた知性は立ち向かえるのか。

閉鎖的な田舎及び、抑圧された者たちの爆発。
都会の喧騒から逃れ、新たな生活を始めようとしたインテリ夫とおバカな妻。
イビられる夫と、男を誘惑する妻。
すべての事の発端は、いずれも他者たちのぶつかり合いから始まり、なぜか理解し合うという感情は田舎者たちからは感じられずに、最悪の事態へと発展する。

主人公を含め、本作に登場する人物たちはマトモではない。
そもそも性格が合わないであろう夫婦の組み合わせとか、治安が悪すぎる田舎町とか。
キャラ造形が差別的に捉えられそうなところもあるし、暴力描写にも色々言われてるのはわかるなぁ。


本作の舞台はイギリスの田舎ということにはなっているけれど、アメリカという国に置き換えられるような題材。
アメリカンニューシネマとして数えられる作品かは微妙なところ(というか細かい縛りとかない)だが、個人的にはそのくくりのような気がする。
平和主義な主人公と、戦争へと向かわされた若者の姿はどこか被るように思うし、環境により暴力で対抗するしかないというのは、争いの醜さを見せつける。

誰もがみな暴力を批判するが、相手が暴力でかかってきたらそんな言葉は通用しなくなる。
もし人類が言語を失ったなら、そんな世界は広がっていくのか?
人類が発展を遂げた時代に、まだ暴力で制することしかできないのか。
人類がどれだけ成長を遂げたとしても、人間の存在自体は変わらない。
身近なところならいじめ問題だってそうだしね。


ちょいヘタレなインテリさ溢れるホフマンは『卒業』の青年が成長したかのよう。
この頃のホフマンはヘタレインテリ系な印象があるので、そのギャップも狙ってのキャスティングだね。

ラストまで観てどんな感想を抱くかによって、善良な観客ですら備えているかもしれない暴力性を炙り出すような感覚を覚えさせる。
「帰り道がわからない。」
「僕もさ。」
行く末のわからない社会と、暗闇のなか進んでいくしかない現実。