平野レミゼラブル

劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲の平野レミゼラブルのネタバレレビュー・内容・結末

3.7

このレビューはネタバレを含みます

幼稚園の頃に赤緑版に親しんでいた自分がポケモンのアニメにハマるのは当たり前のことで、『ミュウツーの逆襲』も公開当時に観に行った覚えがあります。科学の過信や遺伝子操作の危うさ、アイデンティティの樹立といったあらゆる深いテーマが内包されている映画ではありますが、園児の自分がそんな深く理解できるはずもなく「ポケモン何匹いるか数えよ~」と思ってコピーポケモンが出たあたりで匙を投げていました。
そして去年3Dリメイクされるにあたって改めて見返したのですが、いやはや思ったよりも物語が短い!当時は同時上映の短編と合わせての公開だったので短いのも当たり前なんですが(それでも、アイツーのお話とか追加されているんで当時より長くなってるはずなんですが)かなりとんとん拍子に話が進むことに驚きます。そのためテンポはいいんですが、ミュウの野郎が登場したと思ったら速攻で煽ってきやがって開戦するし、有名なサトシが石になる死亡描写もかなり唐突に感じてしまいました。ですが、逆にこうした短い尺の中で上記の深い設定やテーマを全て詰め込んでいるので恐れ入る。

公開当時はポケモンバトルが少なめ…というか後半に至ってはサトシがバトル自体を止めだすということが不満だったのですが、今考えるとこうした子供向けの映画でアイデンティティの差異や優劣で争うことの虚しさをブチ込むこと自体が相当に挑戦的で面白いです。コピーポケモンと皆が争う中で、人語を習得するなど情緒を学んでいたニャースは戦いを拒否してお月様を愛でる「風流で哲学」をして、サトシのピカチュウもポケモンマスターを目指しながらも無意味な戦いに無抵抗を選んでいたのも印象的。脚本の首藤さんはポケモンバトルを愛するサトシがこの戦いを止めた矛盾を「子供だから」「意識的に止めようとしたかもわからない」「でもそこにミュウツーは希望を見出した」と言及していたように記憶しています。サトシの中で「良いバトル」と「悪いバトル」が無意識的に線引きされているところにミュウツーはサトシの善性を感じ取ったのでしょう。理屈や比較だけでは説明のつかない行動こそ、他者と自己を区別する最大のアイデンティティかもしれません。