NAO141

マスクのNAO141のレビュー・感想・評価

マスク(1994年製作の映画)
3.6
初めて観たのは中学生の頃。
衝撃的、いや、〈笑撃的〉な作品だったことを思い出す。別にドラマ性があるわけでもなく、人生哲学を描いた作品でもない。単純に笑えるのだ。ジム・キャリーの顔芸が笑える。この人、仮面(マスク)を装着していない時の姿(顔)も笑えてしまうんだよな~笑。頭を空っぽにして観る作品。そして元気がない時に観れば少しは元気になれる…かもしれない笑。

ジム・キャリーのヒット作ともなったが、共演したキャメロン・ディアスのデビュー作でもある。この時のキャメロン・ディアスの美しさは際立っている!
本作、字幕で楽しむのもいいのだが、やはり本作に限っては吹替で鑑賞したい。
吹替の山寺宏一がとにかく素晴らしく、自分の中では『マスク』=山寺宏一である。「声優って凄いなぁ~」と初めて思った作品だったかもしれない。

本作、実はコメディではなくホラーとして製作される予定であったことは有名である。本作には原作があるが、ダークホース社から出版されている原作コミックス『THE MASK』がどんな話かというと
、仮面をつけることでスーパーパワーを手にした主人公スタンリーが自分の意思に反して恨んでいる人間たちを次々に虐殺してしまうというサイコホラーなのだ。本作の監督チャック・ラッセルは『エルム街の悪夢3 惨劇の館』を監督した方であり、ホラーで撮影しようと思えば出来たのであろうが、原作を大きく変えてコメディ作品に。結果的には大成功となったのである。

仮面をつけることで違う自分になる。これは別に本作に限ったことではなく、我々が日常的に(無意識に?)行っていることでもある。心理学者のユングは「私達は皆仮面を被って生きている」とし、それを〈ペルソナ〉という言葉で説明している。ユングはペルソナとは「一人の人間がどのような姿を外に向かって示すかということに関する個人と社会的集合体との間の一種の妥協」と説明する。つまり、実際の自分の有り様を保護するために外向きに形成された仮面ということになる。けれどもどこまでが仮面でどこまでが顔なのか、この問いが常について回ることなり、自分が仮面と思っている部分も本来の自分と言えないこともない。パントマイムを芸術の領域まで高めて〈沈黙の詩人〉と言われたマルセル・マルソーのパフォーマンスに自分の着けていた仮面が取れなくなり困るピエロの話がある。これは何か本質的なものを感じさせ、少し怖くも感じる。私は昔からピエロが苦手なのだが、それはあの白塗りの顔の下にある本来の顔(本質)が見えないことに対しての恐怖…なのかも。

本作はコメディとなったが、この作品、原作に近くホラーにしていたとしても、それはそれで面白かったのかもしれない。ところで本作はジム・キャリーの演技も素晴らしいが、一番最高なのはやはり犬のマイロ…と私は思う笑。可愛い。
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