J・エドガーの作品情報・感想・評価

J・エドガー2011年製作の映画)

J. EDGAR

製作国:

上映時間:137分

3.2

「J・エドガー」に投稿された感想・評価

メイクが怖い。
Boxster

Boxsterの感想・評価

3.7
1つのものすごく大きい組織を作り上げた天才のお話、、、
ちょうど今組織について、色々と勉強しているところなので、ものすごく興味深く観ることができました(° ꈊ °)✧︎˖°オホッ!

人物うんぬんは抜きにして、成し遂げたことと、やり方は素晴らしい!!!
こんな行動力があるメンズ、必ず惚れますね( ꇐ₃ꇐ )

ひとりの偉大な人の物語として、観るならおススメです(° ꈊ °)✧︎˖°オホッ!

アクションとかは全くないので、伝記として観た方が良いっす!!
Tenro

Tenroの感想・評価

3.8
役がピッタリのやつ!!
権力を振りかざす怪物フーバーがひたすら老いていく様を、
光と影で言えば影の部分を丁寧に描いた人間ドラマ。

有力な政治家のプライベートな会話を盗聴し、それを脅迫の材料に
何十年にもわたりゆすり続ける男。全ては自分の権力、地位を守るため。
普通に考えたら何とまあ恐ろしい男だろう。
しかし、ラストに向かうにつれ浮き彫りになる、男の悲哀。そして孤独。
最愛のひとと最後に『対面』するシーンは思わず涙がこみ上げた。
tak

takの感想・評価

3.6
主人公は、FBI長官だったJ・エドガー・フーバー氏。8人の大統領の下で活躍し、科学的捜査法を確立し、FBIを強大な組織にした国家的な英雄として知られる人物だ。とはいえ、この映画は彼の偉業を称えるような伝記映画ではない。クリント・イーストウッド監督は、大統領もが恐れる権力を手にした男の実像を描いてみせる。政治的の内幕を扱うお話だからオリバー・ストーン監督向きの内容かもしれない。だがきっと暴露映画的なものになり、人としての苦悩や孤独感に迫れたかは疑問だ。イーストウッド監督が手がけたことで、大統領が恐れるほどの"知りすぎた男"の実像と本音に、ヒューマンドラマとして迫ることができたのではないだろうか。

エドガーは権力を手にした男。しかし彼自身も力や重圧の狭間でもがき苦しんだ人だ。若くして抜擢された大きな組織の一員としてのプレッシャー。当然に仕事上でも様々な敵もいただろうし、先駆的なアイディアを実行に映すだけに様々な障害もあったはずだ。そして彼の生き方にいい意味でも悪い意味でも干渉してきた、母親からのプレッシャー。さらに彼が生きた時代のアメリカは同性愛者に対して厳しい時代。彼はそうした自分自身をもさらけ出すことができない。信頼できて苦悩を打ち明けられる存在はない。社会には認められ、自分の作ったパブリックイメージで英雄視されていても、常に孤独。個人秘書だったヘレンと右腕となったクライド・トルソンだけが彼のよき理解者。

エドガーが社会的な体裁を整えるために嫁を迎えようと考えていることを、トルソンに打ち明ける場面はこの映画の中でも白眉。仕事上の相棒であり、精神的な恋人でもあるトルソンと手を重ねて「愛している」と言葉を交わした直後。エドガーが打ち明けたことで逆上したトルソンから浴びせかけられる言葉。仕事上の右腕となる条件にされた「何があっても昼食か夕食を一緒に。」という約束。史実かどうかは知らないが、食事という微妙な距離感が二人の世間的な立場と親密な関係を物語っている。この映画の脚本は、ショーン・ペンがゲイの活動家を演じた「ミルク」を手がけたダスティン・ランス・ブラック。なるほど、巧いはずだ。

僕は学校で習う「歴史」だけでなく、「現代史」を学ぶことが必要だと思っている。今直面する社会問題、経済問題、紛争などがいかにして起こったのか。それは「歴史」でルーツを学ぶことはできても、直接的な原因や流れは学校で教わる範囲ではカヴァーできない。映画「J.エドガー」では、ルーズベルト、キング牧師、ケネディ暗殺、クライマックスにはニクソンがエドガーが持つ極秘ファイルを狙うエピソードまで出てくる。この歴史的な背景の理解があれば、僕らはもっと直面する問題について考えることができるし、外国映画を理解することができる。こういう映画を観るとその思いを強くする。時代を語る登場人物としては、シャーリー・テンプルやジンジャー・ロジャースといったハリウッドスターも。エドガーをダンスに誘うジンジャーの母親役は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のリー・トンプソン!80年代青春組としてはかなり嬉しい。
FBIを作り上げ、ニクソンまでの時代のFBI長官、フーバーの伝記的映画。
 正直、フーバー自身への評価は非常に難しく、冒頭の図書館の目録整備などの功績が本当に彼のものならそれは称賛に値するし、第一次世界大戦の頃から指紋採取などの科学捜査を重要視していたのも時代を先取りした慧眼だったといえるだろう。
 だが、その一方でFBIの権力で機密ファイルを作り政治家やキング牧師、大統領をも脅せる力を手に入れるなどは決して誉められたことではなく、この映画の中での描かれ方では、冷戦のさなかとはいえ昔は先取りだった考え方をアップデートできないまま戦後に突入してしまった哀れな老人にも見える。
 彼の自伝を口述させていたものが、自身の絶頂と言えるリンドバーグ事件で終わるようにしていたのも、実はそれまでの内容ですら事実と相反するところがあるというのは、自分史編纂の面白さではあるが、その口述の時代と現代を行き来するが、その説明がかなり簡略化しているため少し時代に追いつけない部分もあった。
Yukariyama

Yukariyamaの感想・評価

3.5
ちょっと疲れてしまうやつ。
どにた

どにたの感想・評価

3.2
レオ様の演技力や…
『J・エドガー』というタイトルは、西郷隆盛なら『吉之助(きちのすけ)』と題する感覚かもしれない。

薩摩藩の下級藩士でありながら、藩主・島津斉彬(なりあきら)に取り立てられ、幼馴染の大久保利通とタッグを組んで、幕末から維新に至るまでの回天を担った男。

という描き方ではなく、それを天命と信じ、ある宿命と業のなかで生きた、ひとりの男というアプローチ。

けれど、西郷隆盛はむしろ大統領クラスだから、大久保利通を『一蔵(いちぞう)』というタイトルにしたのに近いかも。印象の暗さも似ている(でも私は一蔵どんのことが好きです)。主演が小栗旬くんだったら、観てみたい。

ジョン・エドガー・フーバー(1895年生-1972年没)。

FBIの創設者(前身組織があったとはいえ)であり、初代長官として、6人の大統領(ルーズベルト、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン)の元、その権勢をふるった。

1924年に、29歳という若さで、司法省の捜査局長官に就任し、1935年に連邦捜査局(FBI)へと改編。ニクソン政権が誕生し、1972年の亡くなるときまで、その座にとどまり続けた。

映画は、その晩年のフーバーが、半ば自己目的化した権力の座に執着する姿と、1919年に端を発し、1920年代の若き日に捜査局長官となって以降、次々に改革を行っていく姿とを、交互に描き出す。

その改革とは、科学捜査(指紋照合、筆跡鑑定など)の導入、データベースの構築、徹底した能力主義などであり、まるでスティーブ・ジョブズを見るかのような、イノベーターでもあった。

"Information is power"という言葉が、さらっと1回、象徴的に使われる。力というのは、それ自体に色づけはなく、その運用方法によって、光にも影にもなる。

光の側面としては、上記のイノベーションの根幹を支えたものであり、いっぽう影としては、歴代大統領をはじめ、議員たちのスキャンダル情報を"秘密ファイル"として握り、脅しに使った。

そのように、自身が永く長官のポストに居座り続けることこそが、FBI、ひいては国家の繁栄、正義につながると呪文のようにとなえ続けて。

そこらへんの描写を見ていると、舞台が国内と国外とで異なるのみで、CIAの話にも見えてくる。それは、パクス・アメリカーナという思想体質にも通底するからだ。

イーストウッドの狙いは、やはりそこにあるのだと思う。

リンドバーグ愛児誘拐事件をきっかけに、州警察を超えて、誘拐犯を追跡できるようにした"リンドバーグ法"を制定し、政府(Government)の警察官、つまりFBI捜査官="Gメン"が誕生する。

そのエピソードを展開するなかで、結局は、リンドバーグの子供は死体遺棄の状態でみつかった報を受け、フーバーの母親が、「私たちの手は血塗られている。あなたの手も」と言うシーンがある。

正義でもいい、パクス・アメリカーナでもいい。けれど、その正義の手は、いつでも血塗られているのだと、イーストウッドは言う。

とはいえ、イーストウッド作品のなかでも、素晴らしくよく出来てると思うのは、功罪の"罪"を、もっともらしく語っておしまい、なのではなく、アメリカ人が国民性としてもつ、みずみずしい力強さも、同時に描いていることだ。

J・エドガー・フーバー(ディカプリオ)
ヘレン・ギャンディ(ナオミ・ワッツ)
クライド・トルソン(アーミー・ハマー)

この3人の若者たちが、まるでベンチャー企業を興し、強大な国家権力の中枢へと挑んでいく姿としてもまた、魅力的に描かれているからだ。

この辺りは、冒頭でふれた幕末に活躍した、日本の若者たちの姿を見るようでもある。

フーバーとトルソンの関係が、ゲイのそれであったことは、あまり重要ではない。抑圧と反動?それは真理ではあっても、この映画でそんな描き方をしていただろうか?

また、支配的な母親のもとで育ち、その価値観を批判することもかなわずに飲み込まれながら、苦しみ怯え、権力を握っていく姿もまた、"一蔵(いちぞう)"、すなわち"J・エドガー"として描いたに過ぎない。

描かれたのは、権力を握った男の"弱さ"などではない。

そうではなく、フーバーの場合は、それらが個人的な傾向として備わっていたに過ぎず、イーストウッドの狙いは、そのような個人が、アメリカという国の精神体質を、どのように発露していくのかという点のみに、かかっている。

監督作品としては、『ヒア アフター(2010年)』と『アメリカン・スナイパー(2014年)』の間に位置する。

個人の心は、どのようにさまよい、希望へとたどり着いていくかを描いた『ヒア アフター』。国の犯した罪(つみ)を、個人が罰(ばつ)として受ける姿を描いた『アメリカン・スナイパー』。

この2作品をつなぐ本作は、それらの要素を重層的に織り込みながら、軌跡となる架け橋をつくっているようにも見える。

素晴らしい力作だと思う。


追記:

ちなみに、スコセッシ監督の『アビエイター』は、大富豪ハワード・ヒューズ(1905年生-1976年没)を描いたもので、フーバーとほぼ同時期のアメリカを生きた人。

主演もディカプリオ、母親の抑圧に苦しんでいる姿も同じなので、途中、不思議な混乱状態におちいった。

スコセッシがアメリカの"原像"を色彩的に描くなら、イーストウッドは、その像を、光と影のコントラストで描き出す。

彼の映像の暗さは、影を影として描きたいからだろうと思う。影で何かがうごめいている。それは、本人にもはっきりと何であるかは分からない。
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