広島カップ

七人の侍の広島カップのネタバレレビュー・内容・結末

七人の侍(1954年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

満を持していよいよこの作品です。
私にとってはチャップリンの作品は別にして特別な一本です。
この作品の魅力を上手く表現できるかどうか自信がありませんが、まあ気張らないでいつもの私のペースで綴って行こうと思います。

何が始まるんだ?と思わせる低く暗い所で弾んでいる感じの早坂文雄の音楽に乗せて役者のクレジットが出てきますが、志村喬と三船敏郎二人の名前がVの字に並んでいるところからして何故かいきなり嬉しい。

恒常的に野武士による強奪被害にあっている村のジサマ(高堂国典演じる長老)の一言。村の用心棒として侍を雇うというアイデアを思い付き「腹ぁへった侍探すだ」っていきなり農民から侍を下に見た一言から物語が動き始めます。
全編を通して侍&農民連合軍対野武士軍の構図ですが実は連合軍内では農民は侍を低く見ていましたということ。
農民のしたたかさ。
村を守る為に侍を"利用した"という構図が始めからある。
表面上なかなか分かりにくいこの農民のしたたかさというか隠された部分は物語の中で何度も出てきます。
偵察に来た野武士の一人を捕まえたはいいが、命乞いをするその野武士を侍達の制止も聞かずにリンチにかけたり、過去に村に逃げてきた落武者から奪った武器や甲冑を隠し持っていたり…
仕事を引き受けたはいいが農民の素顔を少しずつ垣間見ていく侍達は戸惑いを見せます。
農民と侍の関係をそこまで踏み込まなくてもというシナリオです。
侍達の高潔な生き方の方がクローズアップされがちな本作ですがこの農民と侍の位置関係の中で描かれているのが特徴的です。
単に助ける助けられる、侍が上で農民が下という関係にしなかった。
「勝ったのは百姓達」ということで終わりますし、「助けてくれて有難う」というサインも農民側からありませんし…
早坂文雄のテーマ曲が何となく物悲しいのもこの辺りかなぁなどと思ってもみます。

農民達がいざ街に侍を探しにいくと案の定"安くて強くて物好きな侍"などなかなか見つからない。
諦めかけた農民の前に現れたのが島田勘兵衛(志村喬)でした。
腕の確かさと懐の深さを存分に見せつける登場シーン。
勘兵衛は悲惨な農民の現状に心を寄せてこの困難な仕事を引き受けます。
他の六人の侍もその勘兵衛に引かれて集まる。
農民や侍達を惹き付けて止まない勘兵衛のこの強力な磁力は一体何千テスラでしょうか?
一文にもならない仕事を引き受けたから崇高(マグニフィセント)な七人ではない。
侍は何のために生きるのか?侍の矜恃というものを勘兵衛の存在から滲み出させてうまく表現しています。

七人の個性が見事に全員平等に描かれているのも本作の優れたところ。
この見事な個性の描き分けがこの作品の大きな魅力の一つです。
七人を一人としてなおざりに描いていないのが凄いなあと思います。
この辺り黒澤の侍に対する思いが伝わってきます。
侍という階級の人達の持つ良性のパーソナリティを七人に凝縮している訳です。
新渡戸稲造の記した武士道をベースにしつつももう少し庶民寄りにした侍観でしょうか。

其々の個性が強烈なので一人一人の侍についての魅力なんて簡単に書けてしまいますしまた書きたくなってしまいます。
(※一番印象的なセリフも合わせて…)

一人目: 林田平八(千秋実)
中の下。そう称された"薪割り流"の使い手ですが五郎兵衛曰く「苦しい時こそ重宝する男」です。
良いチームには和ませ役というのは絶対必要で息詰まる立場にチームが置かれた時に上手くガス抜きをします。
千秋実の飄々とした雰囲気が正にうってつけの配役でした。
こういう男になれるものならなってみたいと思わせます。
※ 「(人を)斬りだしたらキリがないでな。その前に逃げることにしておる」


二人目: 片山五郎兵衛(稲葉義男)
チームの副キャプテンというポジション。
もう少し戦略的な部分についていわゆる知将としてのカラーが強かったら良かったのにとは思いますが、七人を見渡すと勘兵衛に次ぐベテランの立場で全体のバランサー的な役割を果たしています。
勘兵衛の声に比してやや高いトーンの声が勘兵衛の重みを増しています。
侍は穏やかな笑顔も持てるんだよと彼の存在が言っています。
※ 「ところでオヌシ、野武士を30人程斬ってみる気はないか?」

三人目: 久蔵(宮口精二)
求道者としての侍の象徴で自分を鍛え上げることに凝り固まった男。
剣の腕は一級品。
それは人を斬ることの意味を知っているからというのがまた非常に魅力的。
「また、つまらぬものを斬ってしまった」
などという言葉は決して言わない。
口数も少なく愛想がない人物かと思いきや、彼が微笑むと何故かとてもホッとします。
※ 「二人」


四人目: 菊千代(三船敏郎)
農民の出身だが自分で侍と称している。
エネルギーの塊でその後の日本映画を眺めてみてもそのパワフルな点においては右に出る人物がいるかどうか。
彼が登場するとスクリーンが破けてしまうのではないかと心配してしまうぐらいです。
しかし、農民の出の人物を侍側の一人に加えるなんてシナリオをよくも考えついたものだと思います。
彼の口から農民の真の姿を黒澤は一気に語らせます。
※ 「やい、お前達。一体百姓を何だと思ってたんだ。仏様とでも思ってたか。笑わしちゃいけねえや、百姓ぐらい悪ズレした生き物はねえんだぜ。(中略)
良く聞きな、百姓ってのはな、けちん坊で、ズルくて、泣き虫で、意地悪で、間抜けで、人殺しだぁ」


五人目: 岡本勝四郎(木村功)
駆け出しの侍。
子供扱いされてあわよくばメンバーから外れてしまうかもしれないポジションでした。
でも大人扱いされてよく働きました。
合戦中に本当に"大人になった"し。
企業の新入社員の皆様は彼をよく参考にされた方が良いかもしれませんね。
チームの戦力には成れませんが若い故のフレッシュなパワーを発揮しつつ侍(企業人)としての理想を持っている人。
彼については黒澤はとても殺す訳にはいかなかった。
侍の未来は真っ直ぐな彼に託されたのですから。
※ 「先生っ!」、「先生っ!」、「先生ぇ!」


六人目: 七郎次(加東大介)
「わしの古女房でな」と勘兵衛に言われる人物。
要は勘兵衛とバッテリーを組んでいる捕手のような存在です。
投手(勘兵衛)が次に何を投げたいのかちゃんと解っていてノーサインで受けてくれる、投手としてはこれほど有り難い存在はない。
槍の使い手で「エイっ」という気合一発これ以上無い直線で突きます。
セカンドベースに矢のような送球を投げてランナーを刺す捕手です。
侍に一人娘を寝とられ悔しい思いで一杯の農民の万造を正攻法に宥めている様子がいかにも彼らしい。
これがもし平八だったらどの様に収めていたか?興味深いですが…
※ 「はい」
(「実はな、金にも出世にもならん難しい戦があるのだが、ついて来るか」と勘兵衛に言われて)


七人目: 島田勘兵衛(志村喬)
もう既に書きましたが魔性の磁力のリーダー。
一応求められた仕事をやり遂げてはいますが尊い命を失っているのは現場責任者としては責任を問われる立場でありまた依頼者からの労いや感謝の言葉もなく仕事場を離れることになるラストシーンの彼の心中や如何に!
※ 「腕を研く。そして戦に出て手柄を立てる。それから一国一城の主になる。しかしな、そう考えているうちにいつの間にかほれ、このように髪が白くなる。そしてな、その時はもう親もなければ身内もない」


七人其々魅力的で、生き残った侍だけではなく戦に倒れた侍も前日譚としてそれぞれスピンオフが作れそうですね。
(黒澤以外に作って欲しくないですけど笑)

農民についても実に魅力的な人物描写ですが綴ると長くなるので名前だけで本当に失礼します。
ジサマ(高堂国典)
利吉(土屋嘉男)
与平(左卜全)
万造(藤原釜足)
志乃(津島恵子)
彼等も菊千代が叫んだ"百姓"なのです。
本作は昨今多く見かける登場人物をキャラ立ちさせることのみに執心する日本の娯楽映画の薬になるでしょう。
作品の中でちゃんと活きている。

スーパーダイナミックな合戦シーンの興奮については、表現放棄に聞こえるかも知れませんが敢えて「実際に観ていただく方が早い」と言いたい。

『荒野の七人』や『マグニフィセント・セブン』のような西部のガンマンの話ではない。
侍と農民、農民と侍。
これを作ったのが日本人なのだというところが非常に誇らしい。
我々のDNAに寄り添うところが特別なのでしょうか?

星五つでは足りない、七つ差し上げます。

※1000回記念
広島カップ

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