さわだにわか

今日もまたかくてありなんのさわだにわかのネタバレレビュー・内容・結末

今日もまたかくてありなん(1959年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

倦怠主婦がつまらない日常から追い立てられて向かった故郷の軽井沢には何をしているのかわからないがとりあえずやばそうなヨソ者の悪党どもと南方帰りの死に憑かれた戒名書きが子供をおぶってそこらへんをうろついているのであった。

なんだか夢のような映画である。別段シュールな映像であるとか展開を見せるわけでもないのにシーンが断片化されていて素直に前後が繋がらないので何が起こっているのかよくわからない。悪党どもの所業に業を煮やした(なんでこいつら警察に捕まらないんだろう)戒名書きの討ち入りシーンでさえ延々遠くから長回しで捉えて決定的瞬間は映さない。

異様なのはこの戒名書き、三國連太郎と思しき悪党に何度も撃たれるが一向に倒れる気配がなく三國が倒れるまでふらふらとどこまでも追いかけていく。まるで亡霊のような男。だが輪をかけて異様なのはそこからグッとシーンは飛んで主婦は冒頭と同じ退屈な日常に舞い戻り、そんな血なまぐさい事件などなかったかのように、ほとんど何の反応もなく唐突に映画が終わってしまうことだ。

並行して展開する幾つものドラマはどこにも着地しないしいつしか存在さえ忘れられてしまう。辺鄙な郊外のマイホームで主婦と濃密な(しかし愛情は感じられない冷めた)関係を持っていたまだ小さな息子は主婦が戒名書きと親しくなるにつれて画面に現れないようになる。

この息子は主婦の退屈で苛立たしい日常の象徴のようなものだが、軽井沢での現実味を欠いた日々の中で戒名書きに起こった悲劇はといえば血の繋がらない(と戒名書きは語る)息子の突然の死と、上司に良いように使われ家庭を犠牲にしてしまう主婦の夫と呼応するかのような悪党による妻の籠絡であった、ということを思えばなにやらえらく意味深である。

果たして戒名書きなんか存在したんだろうか。そもそもマイホームを一夏だけ上司に貸して一儲けなんて都合の良い話が本当にあったんだろうか。中村勘三郎の薄気味悪い亡霊的存在感、それと対を成すドキュメンタルな都会の雑踏・オフィス風景が強く印象に残る、俺にとっては怪談話のような映画であった。
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